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KOTO'S LIFE STORY 第1話 誕生〜幼少期

1971年8月のとても暑い日に僕はお茶の水駅前の三楽病院で産まれた。

もちろん覚えていないが僕が産まれた時の写真の横に母親の字でそう書いてあったからとても暑かったんだと思う。

母親は悪阻がひどく妊娠中は冷やし中華とあんパンばかり狂ったように食べていたそうだ。
マジか。
産まれたての僕の主成分は小麦のグルテンだったんじゃなかろうか。
それが僕の小麦アレルギーの原因のような気がするのだがもうそれは言うまい。

僕はどうやら母の体の諸事情によりこの世に出てくるのが少しばかり早かったらしい。
38週で体重2490g。

人生経験上大体において夏のクソ暑い日にはろくなことがない。

僕はその夏に未熟児で産まれてしまった。

でも本来なら乙女座になりそうなところを獅子座で産んでくれたのだ。
まぁいいじゃないか。
獅子座はけっこう気に入ってる。

後述するが子供の頃はコンプレックスの塊だった上に僕乙女座なんですなんて言ったら男らしくないという自覚のあった僕は恥ずかしくてコンプレックスの数がもうひとつ増えるところだった。
ありがとう、おふくろ。

そんなわけでおもいっきり未熟児で生まれた僕はしばらく温度・湿度・酸素供給の安定した保育器の中にいたようだ。
温室育ちとはまさにこのことか(笑)

残念ながら保育器という箱の中にいたことももちろん覚えていない。
手がかりは父と母が保管していた古ぼけた写真だけだ。
(数年前のお正月に母が「あんたのアルバム処分しようと思ってるんだけど」と言っていたので慌てて持ち帰り無事に救出。歳を取ると息子の写真などどうでもよくなるのだろうか 笑)

未熟児で生まれたため(…とよく母親は僕に説明していた)か喘息やアトピーで悩まされる体の弱い子供だった。

両親が働いていたので僕は近所の保育園に通っていたがそこで自分が弱い存在であることに気が付いた。
どこにでもいるであろうガキ大将的なヤツが苦手だった。
同じ団地内の4歳では一番のワル、目のつり上がったタカハシジュン君とは足の速さも違う、度胸もない、威圧感も皆無。
ジュンくんみたいにイタズラをする勇気もない。

保育園でもよく泣いていた。
つまらないことでだったと思う。

僕は弱い。。。

そんな自覚が幼少期には芽生えていた。

<つづく>

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