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あした、なに着て、生きていく?

全てのものが移りゆく中で、私たちは常に何かを選び、そしてその分、何かを選び損ねなければならない。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。

平家物語の冒頭の一節。盛りを迎えたのち一瞬にして衰えた、平家一族を見事に表している。


一世を風靡したものが飽きられ、次のブームに取って代わられる。そんな世界に生きる私たち自身もまた、変わり続ける生き物だ。

だからこそ私は、大切な人といると、その二度とは来ない一瞬を逃したくないと思ってしまう。

自分のことに一生懸命になって、目の前のことを片付けていると、いつの間にか友達は別人になっている。

誰かに一生懸命になっているうちに、別の人との関係は消費期限が切れ、別れが来る。


妹が進路を決めた瞬間。
友達が二十歳の誕生日を迎えた瞬間。
先輩が卒論の答えを見つけた瞬間。

それらに立ち会えたときの感覚は、オリンピックや歴史的事件など、世界を大きく変えた出来事を共有している時の一体感とも似ている。

その一体感を望むのは、世界を形作る大事なピースが生まれる場面をこの目で見届けたいという気持ちもあるが、その瞬間を共有した仲間として、自分以外の誰かの中に私を刻みたいからなのかもしれない。

久しぶりにあった友人が、聞いたこともないアーティストの音楽を語り、どんな顔かもわからないバイト先の先輩の面白エピソードを話す。

必死に過去を探って思い出話をしようとするが、彼ら、彼女らの体の半分以上はもう、新しい場所での経験でできている。

私が立ち会えなかった、彼女が初めて大学の大教室に足を踏み入れた瞬間、目の前の空いたグラスを見て「次何飲む?」と勇気を出して聞いてみた瞬間が、あったのだろう。


かといって、私だって移ろいゆく。今の私にしか感じられないものがあり、できないことがある。

私は、どこまでもわがままだ。

移ろいゆくものたちの、全ての瞬間を逃したくないと願ってしまう。

それでも私は、何か一つを選び、無限に広がる何かを選び損ねなければならない。

「あした、なに着て、生きていく?」というファッションブランドのコピーをふと思い出した。

明日の私は、何を選ぶのだろう。

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