才能ってなんだろう?まっすぐな主人公と歩く、羊と鋼の森。
才能について悩んだことがある全ての人に、読んで欲しい。
裏方にいて、自分のしていることって意味があるのかなと悩んだことがある人にも、読んで欲しい。
そんな本が、宮下奈都の「羊と鋼の森」だ。
深い調律という森の中で、自分が正しい方向に進んでいるのかもわからず、その森にいて良いのかもわからず、悩む主人公が少しずつ調律されていく。
調律を森に例える美しい描写につられて、私はそのストーリーに少しずつ入り込んでいった。
調律師は、言葉を通して音を見る
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
これは、主人公を調律の森に導いた調律師が、音の目標にしている原民喜さんの言葉。
調律師を主人公にした文学作品だから、音を言葉で表現している部分がたくさん登場するのは当然かもしれない。
しかしそれに加えて、登場人物たちも、言葉を通じて音を共有する。
やわらかい音、丸い音、澄んだ音。
お客さんがやわらかいという言葉で表現する音が、調律師がその言葉から想像する音と、同じとは限らない。
むしろ、苦楽を共にした仲間でもない限り、必ず違う。
そんな状況の中で調律師は、会話や演奏者の人柄からイメージを擦り合わせ、お客さんが満足する音を作る。
調律師の仕事は、自分が見ている景色を読者と共有するために言葉を選ぶ、ライターの仕事とも似ているのかもしれないと思った。
才能って、好きという気持ち
物語の中で印象的なのは、主人公が調律師としての成長を、一途に求めているその姿だ。
華々しいピアノの世界の裏方として、音を守る調律師。
ピアニストが求める調律と、ピアノの力を最大限に出す調律。そのどちらを選ぶべきか、主人公は悩み続けた。
そして、主人公は悶々と悩むだけではなく、先輩に良い調律師になる方法を愚直に聞いて学んでいく。
仕事場にあるピアノも、毎日調律して練習する。
それでも、自分には才能がないのではないかという漠然とした不安にぶつかる。
言われたことをきちんと実行して、努力を続けても、センスが大切だと言われてしまっては、どうしようもない。
その葛藤の中で、先輩調律師の言葉が、彼を支える。
才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあっても、そこから離れられない執念とか、闘志とか、そういうものと似てる何か。
実際に作者も、インタビュー内でこう話している。
愛情だとか温かみというものが希薄になっているような気がするのですけれども、そういうものをずっと長い間持ち続けられる人、それが才能かなというふうに思います。
37才で小説を書き始め、賞や売り上げよりも、楽しむことを目標に書き続けている作者だからこそできる、才能の定義づけ。
そしてそれを体現するかのように、一歩ずつ成長していく主人公の姿に、励まされた。
こつこつって難しい
主人公が憧れる調律師の板鳥さんは、こつこつ進めとアドバイスする。
実際、作者が37才まで何も書かずに、読書や日常生活で色々なものを積み重ねたからこそ、羊と鋼の森のような作品が生まれたのかもしれない。
頑固、しぶとい、打たれ強い。
才能に悩みながらも、調律師という深い森の中から決して逃げない主人公を、筆者の宮下奈都はこんな言葉を使って表現した。(『羊と鋼の森』スペシャル対談 中江有里×宮下奈都)
きっと生きる中で私たちは、この道に進むために生まれてきたんだという確信を持てないまま、進まなければいけないときがある。
そんな時に、才能がないからと言い訳して逃げるような人には、才能がない。
才能がないから逃げるのではなく、逃げたから、才能がないのだ。
逃げることは悪いことではない。でも、自分が楽しいと思えている限りは、才能を言い訳にせず、そこにしがみつきたい。
「経験や、訓練や、努力や、知恵、機転、根気、そして情熱。才能が足りないなら、そういうもので置き換えよう。」
そんな主人公の言葉に励まされながら、明日も頑張ろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?