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副業勧誘お兄さんのいう「幸せ」には賛同できなかった。

就活関係でいろんな社会人の話を聞くようにしていたら、今日会った人は多分副業勧誘の人だった。どうやって稼ぐんですか?とか聞かなかったしお金はいらないと答えたので、具体的に何に誘おうとしていたかはわからない。けれど、「人脈」「家族」「社長」「年収2000万」「タワーマンション」など独自の世界観に合うワードがてんこ盛りだった。

二時間くらい話を聞いてみて、この人の描く幸せは私のそれと随分違うんだなと思っていた。おそらく憧れられるかっこいい人というポジションで自分を写していたが、こういう人になりたいとも思わなかった。

彼が私を引きつけると思っていた価値観と、私が持っている価値観は何が違うのか、考えてみる。

「人脈」のワードが無理だった

地方から東京に出てきたと言うので理由を聞いたら、「人脈を作るため」と言われた。人脈というワードは、人を道具としてか見ていない表れだと思っているので、その時点で結構な壁を作った。

彼は「人脈がある=すごい人」という価値観を持っているんだと思う。

人脈とは、「ある集団・組織の中などで、主義・主張や利害などによる、人と人とのつながり(goo辞書)」らしい。おそらく彼が指していた人脈はこの利害による繋がりで、他の人が知らない効率の良いお金の稼ぎ方を教えてもらえる特別なグループに所属しているということなのかな。

その背景には、「そのグループに属していない人は、頭が悪い人」という考え方があるんだと思う。おそらくそのグループに勧誘してあげている自分は、いいことをしているとも思っている。

そしてその「効率の良いお金の稼ぎ方を知っている」優越感の背景にあるのは、一つの幸せの定義だ。

幸せ=短期間でお金を稼ぎ、たくさんの余暇を得て、ハワイで暮らすこと

この考え方は、一種の幸せの形として浸透しているものだと思う。

ハワイでのんびり老後を過ごしている。その生活に相槌を入れるとしたら、多くの人が「いいなあ、羨ましい」ととりあえず言うだろう。働きアリのように働いて幸せを見失う系のストーリーは多くあり、その対極として成立する一つの立派な幸せの形だと思う。

ただ個人的に、彼が終始全員が目指すべき目標として描いていたこの幸せは、私の描く幸せとは違った。

私にとって仕事とは楽しいものなので、効率よくお金を稼ぐということにあまり魅力を感じない。

例えば、ゲームを楽しむのなら、コツコツレベルを上げるその時間を楽しんでいるんだと思う。ゲーム機を入れてボタンを押したら自動的にゲームをクリアしてくれる機械があったとして、誰が買うのだろう。自分でそのゲームをクリアする、それまでの時間とクリアしたときの達成感がゲームの楽しさなのだから、それを全てショートカットしては意味がない。

繰り返すけれど、お金を稼がなければ生きていけないのは事実だから、好きなことがお金を稼げることではないのなら(私ももちろんお金を使う好きなこともたくさんある)、短時間でお金を稼ぎ余暇を楽しむという考え方は何もおかしくないと思う。

ただ単に私は、仕事をゲームのようにプロセスを楽しむものとして捉えているので、そのプロセスをカットしお金が結果として出てくるという構図に魅力を感じなかったというだけだ。

そしてそこまでなら、ただ幸せの定義が違ったというだけで話は終わる。もちろん、どちらの幸せが正しいか、人によって違うなら何によってそれが変わるのかを議論することだってできる。

けれど、彼の目的は勧誘だったので、私の価値観よりも自分の価値観が優れているというスタンスを崩すことはできなかった。勧誘という目的がなかったとしても、それを彼ができるか私にはわからない。でも違う価値観の人と議論をできるということは、彼が自分でアピールしていた「人間性」にとても大切なことだと思うのだ。

自分の価値観を変える勇気を持てるか

幸せとコミュニケーションの関係について論文を書いている中で、「アイデンティティとは、幸せとは、作っては作り直すを繰り返す、生涯続くプロジェクトだ」という意見に強く賛同した。

幸せとは、自分の過去を捉え、そこから未来や目的を紡ぐという一連の流れの中にある。過去が増えれば、自分の捉え方も変わるし、自分が生きる意味も変わっていく。

ずっと一つの価値観を信じて生きてきたのに、それを否定しまた一から作り直さなければいけないときも来るかもしれない。けれど、とある哲学者は、そんな人生の方が「深い」と言う。

そしてそこに、私たちが他者と関わる意味がある。

誰かの話を聞き、自分が知らなかった考え方を知る。他人を知って、相対的に自分を位置付ける。その繰り返しで、私たちは自分の幸せの定義を「作っていく」んだと思う。

だから、一つ幸せの定義を見つけて、それが絶対に正しい、それを知らない人は愚かだという態度は、その哲学者に言わせれば「浅い」人生ということになる。

それは、どんな幸せの定義を今持っていても同じ。ハワイだろうが仕事で成功だろうがなんだろうが、自分がずっと信じてきた価値観が揺らいだときに、変化を受け入れる勇気そのものが、その人の強さであり生きる意味を作っていく。私はそこに、人の美しさを感じる。


どれだけ私の考えを説明しても、理解したと言いながら前に述べた幸せの定義こそが正しいと引き戻された。彼には価値観を変える気がないと感じたから、私はあまり彼の勧誘話に心を動かされなかったのだろう。勧誘者として接さない本当の彼が、深い人間かどうかは、私にはわからない。

けれど、このnoteを書くきっかけをもらえたことには、感謝したいと思う。夢、叶えて欲しいな。

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