寝ながら誰かを助けられる人に。

誰かを助けるために行動しているうちは、人を幸せにできない。本当にすごい人は、何もせずに人を助ける。

人助けは良いことだ。それは疑う余地もない。

でも、人助けという名の下に行動をするだけでは、その人助けは完全ではない。完全な人助けというのは、人を助ける存在になることだ。


そんなことを、遊助の曲を聴いていて思った。

遊助は、俳優・上地 雄輔さんの歌手としてのアーティスト名だ。

上地雄輔さんは、八年くらい前に流行っていたクイズ番組ヘキサゴンで、おバカタレントとしてブレイクした。クイズへの回答が面白かったのも覚えているけれど、番組の特別企画としてドッキリを仕掛けられた時の上地さんの行動を、今でも覚えている。

見ず知らずのおばあさんが「お財布をなくしたからお金を貸してほしい」と頼んだら、芸能人は助けるかどうかというのがドッキリの内容だった。

おばあさんに「財布をなくした」と声をかけられた上地さんは、一緒にお財布を探しただけでなく、自分からタクシー代を貸すと申し出た。正しくは「あげる」と言った。そしておばあさんが去った後も、財布を探し続けていた。

しかし、話はそこで終わらない。おばあさんにお金を貸しただけではなく、おばあさんが渡した電話番号にこんな留守電を残した。

さっきのお財布なくしたときのものです。大丈夫でしたか?心配になったので電話しました。…お金大丈夫です。元気な顔をおじいちゃんに見せてあげてください。何かあったらまた言ってください。元気出してください!

そして、おばあさんが教えた住所に後日、新品のお財布が届いたという。

この超がつくほどに優しい行動は、おばあさんだけではなく、私も含め、その番組を見ていた何万人もの人を元気づけただろう。実際に、当時小学生だった私の記憶に、十年弱経った今でも残っている。


そんな人がこの世にいるんだと思うだけで、世界に光が射す。

実際に行動で人を助けるには、時間や物理的な制限がある。人の体は同時に二ヶ所に存在したり、永遠に生き続けるなんてできないから。

でも、存在で人を助けている人たちは、制限がない。引退した後や、死んだ後ですら、誰かの心のなかで生きる希望になり続ける。

イチローや安室奈美恵さん、とまではいかなくても、そんな風に存在で人助けができる人を、誰もが目指せると思う。


人生ってそんなに楽しくなるのかと思えるくらい、幸せそうでいる。

いつでも助けてくれるという安心感を与える。

「私も頑張ろう」と励まされるくらい、ひたむきに努力をする。

誰かが傷ついたときに、帰れる場所でいる。

その人を実際に助けるかどうかは、問題ではない。この人がいるから、自分は大丈夫だと思える、世の中は捨てたものじゃないと思える、そんな存在でいること自体が、人助けなのだ。

どうやって人の役に立てばいいのかわからなくなったら、どんな自分でいたら周りの人が元気になるか、そう考えてみても良いかもしれない。

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