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当たり前の規模

誰にも共感されたことがない話を書きますね。
高校の英文法の参考書に
「A is to B what C is to D.」
っていうのが載ってたんですよ。
これの訳は「AのBに対する関係は、
CのDに対する関係と等しい。」ってやつ
なんですけど。
この文法を使うのって
一見、分かりにくいAとBの関係をCとDという分かりやすい例えを使って説明するためなんですよ。
その例文として
「Reading is to the mind 
what food is to the body.」
っていうのがありましてね。
これの訳が「読書の精神に対する関係は、
食べ物の肉体に対する関係と等しい。」
なんですよ。
私この文があんまりしっくりこなくて、
当時の同級生に聞いてみたんですよ。
そしたら「この文は読書と精神っていう一見分かりにくい関係の二つを食べ物と肉体という分かりやすい関係のもので説明してるんだよ。」って言われて。
やっぱりそういうことだよな。
え、逆じゃない?
だって読書と精神の関係って
分かりきってるじゃないですか。
読書によって精神が育つのは
あたりまえなんだから。
それよりも圧倒的に
肉体が食べ物で育つ方が以外でしょ。
今まで親に言われたから食べ物を摂っていたけれど、まさかそんな関係があったなんて。
この文で初めてその関係を知ったんですよね。
自分の中の当たり前が
ひっくり返された感覚でしたね。
これを他の友達や部活のみんなに
聞いたんですけど誰一人として共感を得れなくて、固定観念って怖いなって思いました。
これを読んでる人のなかに
一人くらいいませんかね、共感してくれる人。




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