「よく喋るアッパー系コミュ障」にならないための文脈的コミュニケーション能力


コミュニケーション能力

僕はこの言葉に苦手意識を感じる。
そもそも何をもってコミュニケーション能力と指すのかがよくわからないし、どうすればそれが上がるのかもわからない。
企業の求人情報などを見ても、かなり高い確率で「コミュニケーション能力」「コミュニケーションスキル」といったワードがどこかしらに入っている。
それらを見るたびに思う。
「コミュニケーション能力ってなんなんだろう」と。
この曖昧模糊として、陳腐で、深いようで実際何も言っていないコイツと、どう向き合っていけばいいのかと。

同じような疑問を持ったことがある人もいるのではないだろうか。「コミュニケーション能力に不安を感じる」といった理由で不採用になったり、「お前はコミュニケーションがなっていない」と上司や先輩に言われたり。
そういった経験をしたことがある人もいると思う。なんだかよくわからないけど人格まで否定された気になる。総じて、コミュニケーションに苦手意識を持っている人は多い。

僕もそうだ。
僕は喋るのが得意ではない。吃音症であるということもあって、初対面の人と話すことは基本的に苦手だ。服屋の店員さんなどと話す時もとても緊張するし、顔は平静を装っていても背中は汗びっしょりだったりする。

この世の中はコミュニケーションが上手でないと生きていけない。余程の特殊な才能を持った人間でなければ、円滑にコミュニケーションが取れない人間は必要ないと判断される。



《一般的なコミュニケーション能力の話》


一般的にいうコミュニケーション能力が高い人というのは、どんな場面での会話にも対応できて、物事をよく知っており、話題や会話のネタをたくさん持っていて、初対面、年上年下、男女などの区別なく、目の前にいる人に合わせた話題を見つけられるような人であることが多い。また、コミュニケーション能力の高い人は、伝えるべき話の内容とその目的を明確にして話すので、簡潔でスピーディーで明確な話しぶりをするというイメージの人も多いだろう。

僕はこういうことを器用にこなせるほうではないし、もしかしたら「おもんないやつ」と陰で笑われているのかもしれない。

コミュニケーションが苦手だと「コミュ障」だと言われてしまう。コミュ障とは、コミュニケーション障害の略である。臨床心理学的に定義される障害としてのコミュニケーション障害とは大きく異なるのであまり使うべきではない言葉だとは思うが、一般的・通俗的には、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、話すのがとても苦手な人のことを指して言われる。



《就活の話》


冒頭でもお話したように、コミュ障は生きていく上で致命的な問題になりうる。
就職活動などは、致命的な傷を負う場面の代表的な例だろう。30分や1時間といった短い面接時間で自分の優秀さを表現しつつ、その企業に貢献できるということを伝えなければならない。予想外の質問を受けても切り返せる対応力も必要だし、身だしなみや声のトーンも第一印象を大きく左右する。本質的な情報を的確に捉えて質問する力も必要だろう。こういった要素をひとまとめにすると「コミュニケーション能力」という言葉になるのだろう。
そして多くの就活生がコミュニケーション能力に不安があるために不採用通知を受け取る。大学生の優秀さなんてそんなに変わらないから、「優秀っぽい人」「使えそうな人」が採用される。その「優秀っぽさ」を左右するのは、やはりコミュニケーションだ。
鬼のように優秀な友人も、口下手であるがために就活30連敗の不遇に陥っていた。


《最近観測される、「上手に喋るのに気持ちよくコミュニケーションが取れない人」》


ここからが本題だ。随分と前置きが長くなってしまった。

僕自身話すのは上手くないので他人のコミュニケーション能力について偉そうに言える立場でもないが、
最近、高学歴、高知能かつ物怖じせずにハキハキ喋るのに、なんだか会話が円滑に進まない人間とよく遭遇する。
話の内容も正確で、話し方も聞き取りやすいのに、なんだか求めているものと違う。

仕事もできるし、雑談も卒無くこなすのに、なんだかかみ合っていない感覚がある。
欲しい答えが返ってこない。
何故か不必要に疲れてしまう。
話すのに億劫さを感じる。
痒いところに手が届いていないというか、仕事はできるし呼べばすぐに来てくれるのに、めっちゃ大きな声で呼ばないと来てくれない飲食店の店員さんに対するような苛立ちを感じる。

どういう訳かこれが高学歴の人に多い。
もちろん高学歴の人は全員そうと言っている訳ではないが、傾向的に高学歴の人と話す時にこの感覚になることが多い。(僕の生活範囲ではサンプル数が足りないかもしれないけれど。)



《聞かれたことに答えるのが得意なインテリ》


ある時ふと思い至った。
「インテリは聞かれたことに答えるのが得意なのだろう」と。

入試を解くという場面を考えればわかりやすい。聞かれたことに正確に答える必要があるし、むしろ変な解釈を入れてはいけない。
「二つの三角形が合同であることを証明しなさい」と言われたら、二つの三角形が合同であることを証明しなければならないし、そこで唐突にユークリッド幾何学に対する持論を展開してはいけない。

インテリは問題の趣旨を理解して的確に答えるのが上手い。そうでないと入試は解けない。いやむしろ、解けたからインテリなのだろう。
インテリは聞かれたことに対して、過不足なく簡潔にわかりやすく説明するのが上手なのだろうと思う。

極端な話、「ペン持ってる?」と聞かれたら「はい」か「いいえ」で答えればいいというのが学校で習う勉強だ。

「Do you have a pen?」
「Yes, I do.」

これで正解だ。何の問題もない。

「貸してあげようか?」とかはつけなくていい。多分減点される。

しかし考えてみれば、実際の会話で「ペン持ってる?」」と聞かれて「はい」か「いいえ」の二択で答えればいい場面というのは逆に少ない。

急いで何かを書きたい場面であれば、その「ペン持ってる?」は「貸してほしい」という意味だろうから、「はい」と答えると同時にペンを差し出すだろう。
OJT中の先輩と後輩という場面であれば、「今から大事なことを言うからメモを取れ」という意味かもしれない。

多くの場合、単純に「ペンを持っているか持っていないか」ということを知りたいわけではなく、前後の文脈が存在する。発言そのものからは読み取れない心理が文脈に隠されている。

「上手に喋るのに気持ちよくコミュニケーションが取れない人」「いい人なのだけど話していて疲れる人」はこういった文脈を読み取ってくれない。
このペンの話は極端としても、このようなちょっとズレた答えが繰り返されると疲れてしまう。聞かれたことにハキハキ答えるのは素晴らしいが、聞かれてないことは答えなくていいというものではない。
いや、もしかすると僕がズレているのかもしれない。正しい答えをしている分には文句は言えないし、はじめから「ペン貸して」と言うことが必要なのかもしれない。


《服屋で働く僕の話》


冒頭で「服屋の店員さんなどと話す時もとても緊張する」と言ったばかりだが、僕の仕事は服屋の店頭に立って服を売ることだ。いわゆるアパレル店員というヤツ。もしかしたら毎日誰かを緊張させているのかもしれない。初対面の人となるべく話したくない僕が、どういう訳か服屋の店員をやっている。
なぜそんなことになったのかについてここで詳しく話すことはしないが、意外と向いているんじゃないかとは思っている。自分が服屋の店員さんと話すのが苦手だから、自分が店員になった時は声掛けに細心の注意を払う。なるべく緊張感を与えないように。リラックスできるように。余分な会話をしないように。
そうやって努力して、結果的に会社でも上位の販売成績になっている。

ここでも、「文脈とコミュニケーション」ということについて思うことがある。

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