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目に見える

雪が降ると

森の中の動物たちが見えてくる

ウサギやキツネ、鳥や鹿など

雪の上に残された彼らの足音をたどると、彼らがついさっきまでいたんじゃないかと錯覚しそうになる

雪のない季節は、物音がしたり、姿が見えなければ意識したりもしないのに

そう 否が応にも

目に見えると意識する

音やにおいは一瞬で

感触も触れているときその時だけで

でも そのものが

視界にある限り、目には情報が入ってくる

見える を通して

わたしたちはなにを感じ、それはどういう行動を呼ぶんだろう

わたしはよく

忘れてはならぬことを手の甲に書く

いつでも視界に入るからだ

でも逆に

忘れていたいこと、

意識下に置きたくないことが視界に入ってきたとき

わたしたちは、どう感じるのか

心配したり、不安になったり、その違和感をどうにか取り除きたくなったりしないだろうか

秋から冬にかけて、そんなことを感じるエピソードが2つあった

それら2つを書いてみる

1つ目は、夏の終わりにわたしたちの拠点に現れた異国から来た友人の話

彼は、肌の色も髪の毛もシルエットも言葉も私たちのそれとは違っていて

一目見て異国の人だとわかってしまう

早朝から商店街の喫煙所のベンチでベースを担いでウロウロしたり

黒いスーツを着こなし、タバコをふかし、ソフトクリームを舐めながら内股で歩いた

知り合えばとてもキュートで礼儀正しい青年だったけれど

話したことがない人からは全く違った印象で見られる

働いてない大人

日本語がしゃべれない=言葉が通じない=理解し合えない

→→→ これまでの自分の理解の範疇を超えたよくわからない怖い人

彼がなぜそこまで怖がられたのかと言えば、どうしても視界に入ってしまったからではないかと思う

見えてしまったからだと思う

専門学校の学生であったり、学校のALTだったり、誰かの家族や親せきであれば、きっと安心されるのだ

所属がなく、仕事がなく、どこの誰だかわからない、そして言葉も通じない

そういう人として見えてしまうと怖くてたまらなくなる

一方で

視界に入っていても、見えないときだってある

その人の理解の範疇で捉えられれば、レーダーは察知しない

学生(らしき若い人)、旅人(らしき人)、そこで働いている人、お客さん・・

そのどれでもあったのに、どれでもないとされた彼

彼を怖いと感じた人のからだに入って、おぉ、なるほど、こりゃ怖いよねと言ったらいいんだろうか

怖さは、どこから生まれるのか

そんな話もしてみたい

彼は、礼儀正しく親切で、誰よりも優しくてキュートな青年です


2つ目のエピソードは

わたし自身のこと

最近、よく周囲から心配されるという話の続き

どうして心配されるかを考えたとき

わたしが心配されるような表情やからだを表出できる場ができたからかもしれないと書いた

しかし、もしかしたら、こういうことも言えるのではないかと考えてみる

これまで、ソーシャルワーカーの仕事は、何をしているのかわかりづらいとよく言われてきた

個別支援がほとんどだし、とても個人的な内容を扱うので、仕事の中身をオープンにすることがめったにないからだ

でも、今拠点にしている場所では、面談もオープンなスペースでするし

ユーザーも横でつながる場やコミュニティが存在する

そうすると、わたしやほかのスタッフが誰とどうやってかかわっているのか、どんな話をしたり、なにをどう考えてどう動いているのかが、かなりいろんな人の目に見えるようになっている

どれくらいの人と会っていて、どんな動きをしているか、かかわる人一人一人のあいだが途切れておらず見えている

当人も、その場にいるカフェスタッフや、インスタのフォローをして応援してくれている人にまで

大変そうだね、大丈夫? 死にそうな顔してるよ 何かできることあったら言ってね

と、いろんな角度から言葉をもらう

そう それは、見えているからだと考えると、なるほどと思う

わたしも見せているし 彼らからも見えてしまう

見えると、考える

自分の視界で起こっていることだから、心が動く

ざわざわしたり、ドキドキしたり、なんだか落ち着かないんだろう

その違和感によくよく触れたり、みみをすましてみると

相手に向いていたものが自分に向いてきたりする

よし、今度心配されたときは

わたしが大丈夫じゃないとあなたのどこがどう反応するんだろうと聴いてみようか

まぁ、大丈夫じゃない時にそんな風にとっさに返せるかはわからないけど


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