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〇〇共同性

上間陽子さんの言葉にもたれたいときがある

個人から発せられたものを遥かに超えた

何百、何万の女性たちや若者の闇がその言葉の波には乗せられている


一対一で話を聴くことは、個別的な話を聴くことと同時に、まだ声を出す発想すらない多くの人の声を聴くことでもあると感じる

聴いているときは、ただ聴く、聴くことをただただする

それは瞑想のような祈りのような時間だ

相手と自分とのあいだに目に見えないけど確かに感じるなにかが巡る時間

その時間が終わった後は、語られたことが何だったのかをふりかえる時間

それが、語った人にとって、聴いたわたしにとって、人々にとって、何だったのかをふりかえる

聴くことそのものよりも、そのふりかえりが多声的に行われ、それをその人や人々にどう還元するかが、わたしたちがやらないといけない仕事だと思う

なんのためになにをしているのかをもっと言葉にせねば、わたしたち自身がそのことを忘れて、渦の中に巻き込まれたり、這い上がり方のわからない穴に落ちて途方に暮れたりする

今、その真っ只中だ

周りは真っ暗だし、孤独だ

上間さんの言葉は、穴から聞こえる若者の声を、こう言ってるよー!あなたたちはどうするのー?と問うている

その言葉に触れるとき、責められているようには感じないし、追い詰められているとも思わない、からだからからだへなにかを投げ入れられたような感じがする

そして、腹の底に力が入る

そういう言葉を発信していかないといけない

そのためには、そういう声を聴き、問う言葉を紡ぐからだでいないとならない

咳も止まらないし、うまく眠れないけれど

それでも聴かないと生きていけない

というか、聴こえてきてしまう

助けてとも死にたいともまだ言っていないその声に、聴こえてるよと、それだけでも返さねばと思う

頭ではそう思うし、からだも受けとめ続けているのに、うまく動かない

自分の中で起こっていることが、一番なんだかわからない

昔を懐かしむ近所や地域の助け合いも違うし、家族で助け合うのも違う

それらはとっくに壊れている

自分たちで壊してきた

そこに生まれた、共同性のなかで助かり合ってこなかった人たちの声を頼りに、わたしも含め、これから生まれる命たちもが助かり合う共同性はどんなものなのか

暗闇に沈みながら悶々と考えている

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