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登るか登らないか、それが問題だ―To be, or not to be: that is the question.(上)

旅に出たら、その土地でしか出来ない特別な体験をしたい。そのために旅に出る。でも、現地に住む人が旅人のふるまいを望んでいないとしたら、どうしますか。

2019年8月末〜9月の頭、オーストラリアを家族で旅した。前半はメルボルンで現地に住む夫の元同僚(&私の元先輩)に案内してもらい、後半はウルル(エアーズロックという名の方がなじみが深かったけれど、その名前の変遷にも歴史があると知る)のリゾートに滞在し、アウトドアのツアーに参加するという旅程だった。

ハードコースの本当の意味

計画は完全に夫任せだったから、私はなにひとつ下調べをしなかった。それどころかオーストラリアの情報をまったく持ち合わせていなかった。「いつか行きたい国」のマイリストに入ったことはなく、先輩がいるから&子どもには街歩きよりアウトドアの方が楽しいだろうという理由から浮上した旅先だった。エアーズロックという名前は知っていたけれど、テレビや雑誌で見たりして、「平地にいきなり大きな岩がある」という程度の認識だった。

旅の手配を進め、旅行会社とやりとりしていた夫から、「ハードなコースにするかどうか」と何度か尋ねられたが、話を聞き流しながら「無理しなくていいんじゃない?」と生返事をした。なにせ5歳の子連れだ。彼女は割と活発な方で、3歳の時に西表島で滝までの岩道を1時間ほど歩いたりしたが、ハードコースは何時間もの山登りというから、ハードルが高すぎる。結局、背負うことになる親の方も、山登りに慣れているわけでもなく体力にも自信がない。平坦な岩道を数時間ウォーキング、というソフトコースでも十分ハードなように思えた。

出発前は慌ただしく仕事のめどをつけ(大幅に持ち越し)、メルボルンを先輩のガイドで満喫し、ウルルの空港に着く頃になって初めて、現地の情報に触れ始めて、やっと分かった。要はウルルを訪れる人、特に日本人にとっては、ウルルに登れるかどうかが大事で、それこそが旅の目的だというのだ。ウルルが登るもの、登れるものだとは知らなかった。ハードコース=ウルルに登る、という意味だった。

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これは帰りに撮った写真だけど、メルボルンからウルルに向かう飛行機から目にしたウルルがファーストコンタクト。「いきなり大きな岩」という乏しい事前情報そのままに、広がる赤土の大地のただなかに忽然と姿を表す。ナマコ・・・?

着いたその日は、夕方から近くのカタジュタ(Kata Tjuta)散策ツアーに参加。ウルルと同じような岩だが、地層的には成り立ちが違うらしい。

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地層の話があまりに面白くて、「ブラタモリ」のスペシャルバージョンでぜひ取り上げてほしい、というと、ツアーガイドさんは「日本の方、よく仰るんですが、日本のテレビ知らないんです」。

参加したツアーは日本語ツアーで、ガイドも日本人がほとんどだった。リゾートのホテルには日本語デスクさえある。世界各地を中国人旅行客が席巻するなか、この日本人対応の充実っぷりは未だ残っている、というべきか。

シャンパングラスの演出

カタジュタで岩の間の「風の谷」を歩いた後、ウルルのサンセット会場へ。シャンパンと軽食が用意されています、と聞いていて、なにそのおしゃれなシチュエーション、と思っていたら、こういう趣向だった。インスタに限らず写真映えする逆さウルル。うまく映し出すのが難しいので、みな写真撮影に夢中になった。

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日が落ちていくと、ウルルの色がだんだん変わっていく。それもいいけれど、360度の地平線、半球の空が暮れていく様子を眺めることが味わい深かった。この景色にこれほどアクセスしやすい土地は世界中、なかなかないのではないかと思う。

サンセット会場の駐車場には、英語ツアーも含めて数台のバスが泊まり、100人を軽く超える人でごった返す。その路上で、先住民のアナング族の人たちが絵を売っていた。写真は撮らないようにとツアーバスのなかで言われていた。

一見してアフリカ人のような肌の黒さと、ごわごわした髪。点描で円を描く独特の絵は、彼らが伝えてきた神話を表しているそうで、リゾート中のモチーフとなっている。アメリカのアートシーンで高く評価されているそうで、リゾート内の美術館で見た絵は、数千ドルの値札がついていた。Dreaming、というタイトルが多い。

ホテル内のインテリアやテキスタイルのモチーフにも使われている。

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建前は「ツアーから勝手に離脱」

翌朝5時台にホテルロビー集合し、ウルルのサンライズから麓巡りへと続く日本語ツアーに参加する。

サンライズ会場はサンセット会場とはまた違う場所。ウルルとは逆側から朝日が上り、ウルルを照らし出す。360度の地平線、半球の空。暗闇から色合いがだんだん変わっていく様が美しい。

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この大地に暮らす人々にとって、朝が来て、また世界が光に包まれることは希望だったんだろうと思う。あるいはいったん死んでまた生まれるような。

360度の夕陽と夜明け。これはウルルの隠れた魅力なのではないかと思った。

夜のシャンパンの代わりに、朝はコーヒーorホットチョコレートとクッキーという軽食が供された。でも暗闇のなかトイレを探してさまよっていたら食べそこねた。

バスへ戻ると朝方の寝ぼけた感じとはうってかわって、皆、ごそごそと身支度を始める。バスはいよいよウルルへと向かう。ここでガイドさんの案内が入る。ウルルについて。登山について。ウルルとカタジュタを含むエリアは国立公園。中に入るのには許可が要り、ゲートが設けられている。国立公園を案内するガイドも資格制で、どこを案内するか、何を話すかまで決められているそうだ。

ツアーでガイドさんが案内するのはあくまで「麓巡り」。「アナング族の人々は、旅行者がウルルに登ることを望んでいません」。だから、ガイドはウルルの登山についていくことはできない。ただ、ツアー客が“勝手に離脱して”ウルルを登っても黙認する、というわけだ。バスは登山口に止まり、人々を下ろす。そこからウルルを登る人と、ガイドさんについて麓巡りをする人に分かれる。

ウルルは高さ863メートルの岩。早い人だと行って帰って1時間、遅い人で2〜3時間というところのよう。麓巡りをして1時間ちょっと。ここで登山口まで降りてきた第一陣をピックアップ。そのあと、ツアーの一行はバスで麓にある博物館へ。1時間あまりを過ごし、また登山口に戻って降りてきた第二陣をピックアップというわけだ。登る人は最終集合時刻を守るよう、間に合わなそうだったら頂上まで行かずに途中で引き返すよう繰り返し伝えていた。

登山口が開いているかどうかはその日次第。閉まる理由は、風をはじめ天候だったり、またはアナング族の神事があったり。統計的な確率について。そのガイドさんは、ここ数日、自分がガイドする時は開いていることを強調していた。

登山口が近づくと、岩のへりに人がいるのがわかる。一列に連なっている。木もなにも生えていない岩だから、見晴らしはいいのだ。富士山登山を思い出した。

カバー写真は、よく見ると小さな人の姿がたくさん連なっているのがわかると思う。長くなってきたので上下にわけることにして、ひとまずアップします。

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