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バブルの空気を知りたくて、の3冊

平成の終わり〜令和のはじめにかけて、なぜかバブルが気になっていた。

ジュリアナだなんだと言われるけれど、実際どんな感じだったんだろう。平成のはじめは地方の小学生だったから、バブルの空気らしきものには触れていない。
どうしてそんなに盛り上がって、そして崩れ去ったんだろう。

「ゴージャスであることに勤勉」

そんな〝バブルを知らない子ども〟にとって、あぁそんな時代だったんだ、と少し手触りを感じられた気がしたのが、『森瑤子の帽子』(島﨑今日子著)。作家の華やかな生活はもとより、冒頭で登場する山田詠美が、親交のあった先輩作家と時代を評した言葉だった。

「日本中が、あんなお金を投げ捨てるように使ってきらびやかなものを手に入れた時代は他にないし、森さんのような人も他にはいません。時代と彼女がぴったり重なったんですね。ゴージャスであることに勤勉で、一所懸命ゴージャスやって、きっと、疲れちゃったんですね」

森瑤子は英国人の夫と3人の子を持つ主婦だったが、38歳の時「情事」でデビュー。15年のうちに100冊を超える本を著し、93年7月6日、52歳で胃がんで逝く。
カナダの島を買い、与論島に1億円以上かけて別荘を建設、とスケールがでかい。

山田詠美の別の言葉は、「WHY バブル?」の手がかりにもなった。

「それはきっと、世代的なものが大きいのでしょう。戦争と飢えを知っている世代で、とくに中国から引き揚げてきた森さんには、物質的なものを取り込んでおかなければ安心できない。そんな感じがあったような気がします」

バブルは時代特有だけれど、母娘の葛藤は普遍的なもののように思えた。3人の娘が母に向ける眼差しと距離感には違いがあって、母が生きていた頃と今振り返ったものでもそれぞれ変わっていて、彼女と接点があった数多くの人の語りのなかでもひときわ印象的だった。

「とれるもんなら、とってみぃ」

空気感でいうと、時代に乗って金を借りまくって事業を膨らませた「バブル紳士」たちの実像を垣間見たように思えたのが、『トッカイ—バブルの怪人を追いつめた男たち』(清武英利著)だった。

表紙の「トッカイ」の横に『不良債権 特別回収部』とある。不良債権、それにジューセンという言葉は見聞きしていた。でも、住専(住宅専門貸付会社)の元社員が、自分の貸した金を取り立てさせられ、不良債権を回収する組織は、金融機関の破綻や不良債権の処理が進むなかでどんどん拡大して、そして取り立ては今も続いているなんて全く知らなかった。

本の主人公は、特に悪質な債務者相手の回収を担う「トッカイ」だけれど、彼らが対峙するバブル紳士たちの凄みがすごい。借りた金で不動産を買えば、家賃という日銭を生む。積み上げた資産は海外のプライベートバンクを通じて、タックスヘイブンに流す。一見スマートなグローバル金融の世界とは相容れないようなバブル紳士の泥臭さ(しかも舞台が関西で会話が関西弁だからいっそう感じる)が結びついている。刑務所に入ってもものともせず、債務は利子を含めて1兆円まで膨れ上がっているケースもある。

中小企業や個人であれば、借金の返済は重くのしかかり、どこまでもついて回るというのに、ここまで借りると開き直れるというのは世の不条理としかいいようがない。

「変わっていく過程だったんでしょうね」

「どうしてそんなに貸したのか?」という疑問に、1つの仮説を導き出せるような気がしたのが、『バブル経済事件の深層』(奥山俊宏、村山治著)だった。

料亭の女将、尾上縫と日本興業銀行。リゾート開発に邁進したEIEグループと長銀。それに日債銀。多額の金を貸し込んで焦げ付かせた3つの銀行に共通するのは、産業資金の供給というそれまでの役割が終わっていたことだった。役割が終わりつつあるのは、監督官庁である大蔵省も同じ。

EIEグループ総帥の高橋治則氏は、彼との付き合いが原因で大蔵省の幹部が失脚したことについて問われ、こう答えている。

大蔵省というのは田中角栄でさえ怖がった組織だったんです。それにどこかで風穴を開けたいと思っていた政治かがいたのではないか。だから、ぼくを叩いて、それをもとに大蔵省を解体した。そこから金融行政は崩れた。国際化していく上で、いろんな意味で、変わっていく過程だったんでしょうね。

〝いろんな意味で〟には、金融行政や金融システムはもとより、まさに「いろいろ」含まれていて、でも、その変わる過程って果たしてどうだったんだろう。

これまでのやり方で行き詰まったら、路線を変更するか、縮小するか。でも、当時、選んだのはそろって融資の拡大であり、仕組みの現状維持、そして抱えた問題の先送りだった。言ってみれば、曲がり角を迎えていたのに、スピードを落として慎重にハンドルを切るのではなく、全速力で突っ切ろうとしたのだ。

「あんな時代はもうこない」などとため息交じりで言われる。
でも、同じ様相でなくても、同じことは起こるのではないかと思う。

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