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メルカリで手放したもの、得たこと

1カ月あまり、メルカリにはまっていた。6点売って、6点買った。スマホならではの、本当によく出来た仕組みだと思う。梱包さえすればコンビニで発送できるのも便利だ。メルカリ経済圏が広がるのもよく分かる。

ただ、あまりに生活メモリを食うので、大物が売れたのを機に、離れることにした。いったん出品すると、コメントやメッセージがあればアプリに返信を促され、売れたらすぐに梱包して発送しなければならない。いつもスマホが気になる。残る出品は停止にした。

それに、めぼしいモノはないかとつい眺めてしまう。割安なネットショッピングという手軽さに加え、同じ検索条件でたくさんの品物がずらっと並ぶ見やすさはほかのショッピングサイトにも勝るように思える。こう書いている間にも1つ欲しいものを思い出してアプリを立ち上げて購入してしまったので、これを最後と、スマホ画面にアプリが表示されないように移動した。

メルカリはとりわけ、地方在住者にとっては福音じゃないだろうか。流通しやすいのは、ブランド・メーカー名という記号がついていて商品の価値や中身が分かりやすいものだけど(ユニクロの人気が高いのもうなづける)、そうでないもの、例えば人が集まる都会だからこそ成り立つような趣味的な店先に並ぶ品とも、画像とコメントを手がかりに出会える。

あまりに魅力的だからこそメルカリ絶ちしたのだけれど、短いお付き合いのなかで時間と労力を費やした分、得たものは大きい。だいたい流れもつかめたし、何かモノを処分したい時、欲しいモノがある時には期間限定で再開してもいい。

モノは単なる物質じゃなくて、そこに意味がつきまとうこともメルカリの売買を通じて、改めて実感した。こんまり断捨離、キーワードはなんでもいいけれど、片付け系の言説が皆、精神的効果をうたうのは必然なのだ。

手放せたもの

一番は、衝動買いした小ぶりのブランドバッグだ。売り上げも最も大きくて、1年間、コンビニの買い物をまかなえそうなほどだった。

クローゼットで目に入るたび、買った時のことを苦く思い返した。当時、仕事上のストレスがマックスだった。図書館でめくったVERYでぱっと緑色が目につき、ネットで検索。たまたま打ち合わせの場所に指定されたデパートの喫茶店の近くに、そのブランドの店舗があったので、打ち合わせの前に寄って、色違いのものでサイズ感を確かめた。緑はすごく人気で、取り寄せてもあるかないか、だそうだ。ただ、少し小さすぎるかな、もう少し考えてみようと踏みとどまった。

それなのに、その打ち合わせでさらにストレスは高まり、家に帰ってネットで注文してしまう。届いたバッグはそれは予想通り素敵な品で、目にしただけでときめいたけれど、やっぱり小さすぎた。そのバッグを使うため、お財布も小ぶりなものに替えたけれど、どうにも使いこなせそうもなかった。

自分史上、最高値のバッグは、衝動買いするほどストレスを抱えている自分に気付くという高い勉強代だったのだと自分を納得させようとした。

栗原康さんが以前、対談で話していた彼女との話が思い出された。

ショッピングモールでデートしていて何も買わずにいると、彼女に「なぜ買わないのか。なぜお金がないのか。なぜ働かないのか」と詰め寄られる。「働きたいと思わない」「買いたいと思わない」と答えると、「私は買い物をして憂さを晴らすためにこそ働いている」と切れられたんだそうだ。お金を使って生きている感触を取り戻すために、我慢して働いているという真実をはからずも暴き出してしまった。

自分はそうではない、と思っていた。でもいつのまにか、働くなかで、買い物せずにはいられないほどのストレスを抱えていたことをバッグという形で突きつけられたのだった。衝動買いに走らせるようなストレスからは逃れるのだと心に決めた。

ただ、クローゼットで死蔵される運命のバッグが哀れだった。こんなに素敵な品なのに、私が手に入れたばかりに、日の目を見ることなく朽ちていく。だから、メルカリで、このバッグに目をとめてくれた人の手に渡ったことは救いだった。

もしかしたら中古屋とかで転売されるだけなのかもしれない。コメントのなかには「もし偽造だったら返品に応じるか」「コメ兵で鑑定してもらう」と転売を匂わせるものもあった。正規品だと示すために買った時についているタグや袋などきちんと残して写真に載せるというメルカリの作法もだんだん分かってきた。でも、このバッグを買った時は売ることなど考えてもいなかったから、かろうじて袋が残っているだけだった。転売されない保証がないのはもちろんだけど、転売を当たり前とも思いたくなかったから、「信じられなかったら買わなくてかまわない」とコメントを返した。

コメントのなかには「●円で即決します」など値下げを求めるものもあって、なかなか駆け引きだと思ったけれど、値段のデッドラインをなんとなく決めていたので、断るものは断り、デッドラインをちょい超える額まで値引きし、当初、払った額の7割弱までを回収できた。売れたおかげで勉強代を抑えられ、モノも息を吹き返した。

発送する時にはお礼のメモをつけ、包んだビニール袋をマスキングテープでとめた。商品ではあるけれど、ビジネスライクではない雰囲気。アプリ上でも、「購入させていただきました」「ありがとうございます」「楽しみにしています」「素敵な品でした」とコメントを交わしあう。売買といっても、商売のように買い手優位でもなく、匿名ゆえに成り立つフラットなコミュニケーションなのだと思った。

発送も受け取りも住所を明かさず済ませられるのも発明だ。お互いに顔も名前も属性も出さず、モノとテキストメッセージのみでどんな人なのかを伝え合う。別に全人格を伝える必要はない。「モノをやりとりするうえでトラブルがない程度に信頼出来る」人だと分かればいい。

ネット上で売買するにしても、仕事となるとかなりハードルが高い。もしかしたら、Twitterにブログ、このnoteのような、テキストで、考えていることをやりとりすることも実は難易度が高くて、モノをやりとりするメルカリの方が匿名コミュニケーションの入り口にあるように思った。ゆくゆくは仕事でも匿名のマーケットに乗り出していかなければならないとしたら、メルカリは1つの練習にはなるのかもしれない。

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