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芸術にあたるということ①

イギリス海岸を訪ねて

 花巻に向かったのは学会に参加するためだったのだが、それだけではもったいない気がしていた。すると、『銀河鉄道の夜』の"プリオシン海岸"のシーンが何故だか頭をよぎった。恐らく、学部の卒業制作において、そのシーンに出てくる博士を宮沢賢治自身の写であると主張したことが印象的だったのだろう。そこまで気になるのならば、とモデルとされているイギリス海岸に向かうことにした。
 9月24日は、前日の土砂降りが尾を引いているまだら雨であった。当然辺りに人はおらず目立った看板もなく、内心不安になりながら川岸まで行ける階段を下った。
 雨に濡れた河原は滑りやすく、階段付近の土を踏みしめてきたスニーカーのせいで、気を抜くとすぐに体勢が不安定になる。ドロドロ、ぐにゅぐにゅ、あまり気持ちの良い感触ではない。雨のせいで北上川の水量は増しており、写真で見たような本来浮き出てくるはずのガタガタした岸辺は見つからなかった。川の水が寄せては返す境界まで踏み込むと、やっと視線を真正面に据えた。
 ややけぶって視界良好とは言い難いが、スポンジケーキのようにハッキリと地層の別れた岸壁が、河の中洲あたりに突き出していた。
 その唐突さに、驚きが一瞬あった後に、すぐ笑いが込み上げてきてしまった。自分でも何が面白かったのかわからないが、とりあえず笑ってしまった。そして、また足下の河原の石と岸壁を見比べた。
 水流で削られながら運ばれた石も、元は少し遠くに見える地層の一部だと考えると、なんだか可哀想な気がした。そこで、小ぶりなものをひとつ掴んで投げてみた。角度の急な弧を描いて、ざあざあごおうごおう、と音を立てる河に呆気なく落ちていった。
 今度は、先程の石が濁った水の底に強制的に移されたことを考えた。さらに丸みを帯び、苔がむすかもしれない。魚が卵を産むかもしれない。こうした想像がいとも簡単に浮かび、賢治がこの場所で考え事をしたというのもわかる気がした。
 現代の河の動き、音、川辺りの形、石の肌触りは僕が直視したが、当時のイギリス海岸はどうだったのだろう。それを知るためには、やはり作品に触れるしかないと思う。

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