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能力があるのに、生き苦しい女の子

「息苦しい」と女の子はつぶやきました。「呼吸が下手なの」とそうも言いました。それはもちろん心肺機能の物理的な意味合いもあるのだけど、精神的な面でも、その女の子は息が苦しいようでした。僕から見ると彼女は上手に生きているように見えていた。知能が高く、好奇心の旺盛な素敵な女性。

ですが、彼女はしきりに「生きているのは苦しいことだ」とそう呟きます。そんな姿を見て、僕は「苦しいけど、楽しい。ちょっとしんどいくらいが楽しいよ。」なんて無粋で無様な言葉をかけました。

弱冠20歳でありながら、この子はとても優秀。学術的な発表もしており、海外で論文の発表もするような女の子です。きっと多くの人にとって、とても強く逞しく映る女の子。客観的にも、僕の主観にも優秀だと映りました。

「人間の能力に年は関係ないのだ」と、この子をみていると改めてよく思えた。身をもって体感してしまいます。自分が分不相応な年のとり方をしていないので、落ち込みそうにもなりますが、同時に勇気をもらえる。エナジェティックで活発な人間は、時に他人の気を落とし、他人の気持ちを大きく揺らします。受け取り側がどんな目的論を持って接するかで、その意義は大きく変わります。この子を知った時は、ポジティブにもネガティブにも気持ちを揺らされました。

とにかく、優秀なその女の子は、優秀だからこそ息が苦しく思えてしまう。

知能が高く、経験豊富だからこそ、世の中のことを弱い齢ながらもよく知っている。だからこそ、呼吸が苦しくなってしまいます。優秀であるが故、見えてしまう遥か上のステージにいる人間、汚いことをしている人間。努力を努力と思わず大きく自分の先を歩く人。能力がないのに人につけ入り、上手く立ち回る人。そうした人間の欲の部分が見えたりすることで、生き苦しく思えてしまうのです。

「努力を怠る人間がどうして、努力をする人間を虐げられるのか」

そんな風に言葉を吐く女の子は、優秀故のコンプレックスを抱えているように見えた。

努力を重ねて、たくさん重ねて手に入れたものがたくさんあるからこそ、「なにもせず手に入れた人」が悪く思えてしまう。息苦しく、生きにくいなんてことが起こってしまう。

「自分よりもよっぽど優秀なのに、どうしてこの人はこんなに苦しそうにするのだろう」

そういう人があなたの周りにもいたら認めてあげてください。僕は自分より優秀なのに悩んでいる人間を何人か見てきて、いつも「すごいのに」と漠然とした事を言い続けてました。

上手く言語化できる場合は、その人それぞれの変数に即した言葉を探しますが、基本的には「すごいよ、あなたは出来る」そう声をかけてます。簡単な言葉で、稚拙かと思われますが、これは本心であって、ただ単純に凄いと思うのです。暴論を言い出すと生きてるだけで凄いのですが、その上でなにか行動を起こせる人はとにかく「すごい」んです。

能力がある故に悩んでいる人を見つけたら「あなたはすごいんだよ」と言ってください。「何もしらないくせに」と怒られてしまったら、知ろうとしてください。知らないなら、知ればいいだけ。自分が相手をすごいと思ったのなら、知ろうとすればいいんです。

悩んでいるひとは、悩めてる時点で優秀です。すごいんです。あなたはすごいよ。


(ライター | 文筆 | Webデザイン)言葉とカルチャー好き。仕事や趣味で文章を書いてます。専攻は翻訳(日英)でした。興味があって独学してたのは社会言語学、哲学、音声学。留学先はアメリカ。真面目ぶってますが、基本的にふざけてるのでお気軽に。