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「目が会う人全員と友達だったらいいのにな」

  よく人と目があう。

 街は人でごった返してる。今はお盆で余計に人が多い。細い人も、大きい人も、小さい人も、外国人も、お相撲さんみたいな人も。ごっつあんです。

 そんなごちゃまぜ闇鍋の食材ひとつひとつに目をやる。するとどうだ、7割くらい目があう。男女問わず。

 ポケモンだったら戦闘が始まってる。僕の場合、連戦になるので、ポケモンセンターに駆け込む姿は想像に易し。

 気の合う友人はいても、常に遊べる人がいるほど交友関係は広くない。むしろ友達は少ないほう。言ってて悲しくなるからこの件は迎え火で帰ってこなくて良い。できれば飛んでいってほしい。どっかに浮かんでいてくれ。

 そんなわけで、基本的にぶらぶらするときはひとりで歩いている。もちろんご飯だって一人で食べる。

 できれば人とご飯を一緒に食べたいのだけど、都合のよい友人は、タイミングよくそう転がってない。

…転がってない? いや、転がってる、きっと。街を歩いている人たちの中に、僕と同じ状況の人がいるはずだ。...たぶん。

 もしかして目があう人たちは自分と同じ状況なんじゃないか? そうだよね。そんなわけないね。けど、そうであってくれと願うほど人と目があう。

 そしてふと思うわけです。「目があう人たちが友達だったらな」と。

 彼らが友達であったなら、その場でご飯に誘える。一緒にカラオケにいける。適当にお店をグルグルできる。一人で行きにくい場所に気軽に行ける。

 (異性の)知らない人に声をかけて誘えば、それはナンパになってしまう。ナンパが悪い事とは特別思わないけど、別にナンパがしたいわけじゃない。なら、やっぱり「目があう人全てが友達」でないといけない。でないと、「街で会ったから」といって誘えない。友達である必要があるのだ。

たくさんを知りたい

 だから、友達になってくれ。いろんな人と友達になりたい。小学生みたいな一文。

 いきなり友達はきついなら、知り合いでもいい。そしたら、目が合うあなた達とご飯にいけるはずなんだ。

 ご飯は一人で食べるより、二人で食べたほうが大体美味しい。食卓は最高の会話の場所。なんなら、別に会話しなくてもいい。もう論理もなにも無茶苦茶。

 目があう人たちと友達になれるなら、もっと気軽にごはん屋さんに行ける。けど、それが強制になれば、街を歩く事に圧迫感や義務感が生まれてしまう。諸刃だな、ぐはぁ。

 目があったとき、「この人あいそうだな」と判別できるメガネでもあればいいのにな。なんだかふしだらに聴こえるかもしれないけど、男女問わず。ただ単に、気軽にご飯を食べたい。話を聞きたい。
 
 目があっただけで戦闘がはじまるポケモンの世界に、少しの疎ましさと結構な羨ましさがある。バトルはしたくないけども。

 それではまた。

(ライター | 文筆 | Webデザイン)言葉とカルチャー好き。仕事や趣味で文章を書いてます。専攻は翻訳(日英)でした。興味があって独学してたのは社会言語学、哲学、音声学。留学先はアメリカ。真面目ぶってますが、基本的にふざけてるのでお気軽に。