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約一年

母が体調を崩してから一年。間も無くお盆には一周忌を迎える。

亡くなってからは手続的なことや、さまざまな雑務が大量に発生して、終わるのにこと春までかかった。年が明けたらコロナの猛威でデイサービスが複数回閉じた。閉じてる間は家に居て、認知症の父の介護は熾烈を極めた。

毎日が戦場で、休む暇も、悲しみに浸る日も何もなく、ひたすらに走ってきた。
ひと段落して、今度は夏に打てなかったワクチンを打ち、ケアマネも病院も何もかも新しく変えて、その後ようやく今までの経験を社会的に還元しようと奔走している。それも走り出したばかり。一つ一つ変更するのは尋常じゃない手間暇と時間と気力がいる。

いつになったら弔う時間はあるのか。
あと数年はないんだろう。

その頃には悲しむ気持ちなんてもはや
どこかに無くなっているかもしれない。

わたしは鉄人ではないし、
ネイビーシールズのような屈強な精神を
持ち合わせてもいないので、
当然のように混乱する。

樹海の中で彷徨う人のように、
わたしは混迷の中にいる。

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