生命は生きるべきだということ

 もし生命が生きるべきではないとしたら、生命が産まれてくるのは何故か。生きるべきではないとしたら、生きる理由どころか、必要さえないのに産まれてくるということになります。この場合、生きることよりも、産まれてくることに価値があると考えられます。

 しかし、産まれてくるためには、親が必要です。私を産むためには親が必要で、その親が産まれてくるためには、そのまた親が必要で、そのまた……と繰り返していくと、必ず最初の一人にたどり着きます。まぁ、その最初の一人は、「一体何から産まれたんだ、そいつにも親が必要だろう」という問題はあります。よく神様とかが言われますね。神様が私達を創ったとして、その神様は誰から産まれたのかというやつです。

 とにかく、生きることよりも、産まれてくることに価値があるにしても、産まれてから、次の生命を産むためには、しばらくの猶予が必要です。したがって、産み出すまでの間に限り、命の保証はされねばならない。つまり、生まれるべきとした場合、生まれるべきの中に、生きるべきが含まれることになります。

 生まれるべきの中に生きるべきが含まれるということは、生きるべきが前提にあり、生きるべきがなければ成り立たないということです。よって、生命はいきるべきです。

 あまり長くなると読んでもらえなくなるので今日はこれで終わりにします。次は、「死ぬべきかどうか」、また、「生命は奪われるべきか」について考察したいと思います。いつ書くかは未定です。

 ちなみにこれを長くしたものが、「働かざるもの食うべからずという言葉」になります。