滅ッ!

絶対的な善はあるのだろうか。

よく絶対的な正義がうんぬんと語られるが、絶対的な善が存在するかどうかのほうが重要だと思う。正義を積み重ねるのが良いか悪いか分からないが、善を積み重ねて悪いなんてことはないはずだからだ。

だが正直、そもそも善悪の概念は古いと思う。

どちらか片方ならともかく両方が存在することは矛盾するような気がする。

なんでも貫ける矛と何でも防ぐことのできる盾は同時に存在しない。

これは、最高位のものは両立しないことを表している。

ある意味で同じ力を持ったものが分離してこの世に存在するのは成り立たない。

神様が神様を殴ったら死んでしまうぐらいおかしな話だ。

ならば一つの形として存在しなければならない。

つまり、なんでも貫くことができ、かつ、なんでも防ぐことができる。攻防一体の武器というのならば存在の可能性はある。

ああ、でもこれだと何でもではないね。自分自身は貫くことができない。

同一の存在が現れるとどうしても貫くことはできなくなる。

不完全な善で悪を打ち破れないのと同じ。なぜ悪が存在するのだろうか。

しかし、絶対的な善が存在するのならば悪を打ち破れてもいい。

悪というのは神学的に言えば存在が許されない。

絶対的な善である神が悪の存在を許すわけがないからである。

創造神であればそもそも生み出すことがない。

結局の所、天は人の上に人を人を作らず、ということだろうか。

善悪を扱うのは人間。つまり、位は同じ。力も同じ人間力。

人と人、なのでどちらを用いようとも力関係は拮抗する。考えてみれば当然の話しだ。

ただし、神学を持ち出した場合は別、といったところだろうか。

絶対神の前に悪は滅び去る! 滅ッ!!

結局、善悪の観念を語るには神学の力が必要という結論になった。

善悪で語らずとも助け合えばいいじゃない。

まぁ、誰かが割を受けなけりゃならないんだけど。