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愛する人が亡くなる時 ~①姉妹でも違う母への距離~

人生で
先に逝く家族の死を受け入れることは
人が人生で経験することの中でも
人生のよりどころを失うような大きな喪失体験だ。

しかし、
『愛する人を失おうとしている』
あるいは
『愛する人を失った』
という大きな体験を共にしているにもかかわらず、
同じ家族であっても
悲しいことに
悲しみの思いはなかなか共有できないものだ。

これはなぜなのか?
これまで間接的に体験してきた
家族の物語を紹介しながら、
家族を看取り、送るときの
ヒントを書いていこうと思う。

第一回は、
親の看取りでも体験する感情、
そしてそこから生じる思いは兄弟でもみな違うこと。
そしてその結果生じる家族の軋轢を
乗り切るコツを書いてみたいと思う。



姉妹で全く母親への心理的距離が違うA家の場合

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Aさん一家は
母(50代後半)と
長女30代前半、
そして次女(20代後半)の
妹の3人家族。
父親はすでに他界している。

50代後半の母がガンを患い、
ステージが進み治療の選択肢がなくなり
『早く死にたい』と言い出したときに
問題が現れた。

連日のように病棟の母を
見舞いに訪れ
『母の思いを何とか思いとどまらせてほしい』
と願う次女。
彼女は明るくはっきりとした性格で
明るい髪の色が似あう
エネルギッシュなタイプだった。

一方、
長女はというと、
見舞いに訪れてもどこか所在がなさげで、
顔を見せはするものの
母に対して、どこかよそよそしい。
長い髪の似合う静かで理性的なタイプだが、
どこか線が細く
ややさみし気な雰囲気。
短く母の様子を確認すると帰るという
パターンだった。


そして母親は、
女性にしては珍しく一切の愚痴は言わず
泣き言も言わず、
ある意味一切の感情を口を一文字に結んで
飲み込んでいる様子の人だった。
『はやく死にたい』という意思のほかには
一切の感情を見せることはしない人だった。
しかし、そばで見る人たちは
彼女の心の根っこにある『怒り』を
感じとり
自殺をするのではないかと
懸念していた。



当初この患者本人である母親が
『死にたい』という言葉を表し始めたとき
まだ家族との時間が残された
ようにみえる状態であった。
しかし、本人は一貫として
『早く死にたい』という希望だった。
医師との話し合いが何度も行われた。

その後、担当の看護師さんも
家族も何とか心の根っこに触れることができないかと
試みたが、頑として扉は閉ざされたままだった。

ガンの痛みは、本人の精神的な痛みと
結びついているともいわれている。

閉ざされた心は
さらなる痛みを生み出し、
身体の状況も次第に悪化してきた。
その後、患者さん本人の強い希望と
医師との話し合いの中で、最終的には
『鎮静』=セデーションが行われました。
(薬でも抑えることができない強い痛みがある場合に
意識レベルを落とすことで痛みの緩和を図ること。
継続的な使用によって、
最終的には呼吸機能が低下しすることもある)



もう話せない母の枕もとで

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ガンの末期の患者さんに行われる
鎮静=セデーションは、
最後の最後の選択肢と言われている。

継続的な鎮静を始めると痛みは緩和され
寝ている状態になるかわりに
患者さんご本人は自分の意思で話したり
体を動かしたりすることが難しくなる。

この鎮静が継続的に始まって数日後
長女さんが、
お見舞いに来られていた。
お見舞いと言っても
もう直接本人と話すことはできない状況だった。

鎮静=セデーションという選択肢は
選んだ患者さん本人も
家族にとっても最後までこれでよかったのか?と
心の迷いが付きまとう難しい選択だ。
この日も、
長女さんの心のうちをお聞きしようと
話を聞き始めた。

長女さんが話し始めたことは
彼女から見た母親の主観的存在についての
思いだった。




『私はいつも母親が怖かった』

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「私にとっては、
母はいつも怖い存在でした。
妹が母と仲良くしているのを見て
羨ましいなとも思っていました。
『寂しいな』と思うことはありましたが、
でも、どうやって母と仲良くしていいのか、
正直わからなかった。」

私:いつ頃からそう感じていたのですか?

「えーー。いつごろからかな?
 記憶にある限りずっとですね。
 私は、何をしても母を怒らせてしまうんですよ。
 なんか、上手に甘えられないというんですかねー。
 私(長女)からみていると、
 妹(次女)は甘え上手だなって思います。

 だから、病院にくるのも正直ちょっとこわごわっていうか。
 なるべく、病院に来るときも
 寝ていてくれるといいなーと思ってきていました。
 何か言われるのが怖いというか。
 なんか、緊張しちゃうんですよね。」

 私:妹さんとはおいくつ年が違うんですか?
  長女の場合、次の兄弟が生まれてきた年齢によって
   ある意味いろんなトラウマがあることもあるんですが。
  本当はもっと甘えたい年齢なのに、
  お姉さんにならなければいけなかったとか。

「5才です。
 母が言うには、私は小さい頃
 よく病気をしていたそうなんです。
 生まれたときも、未熟児で何か月か
 保育器に入っていたらしい。
 大きくなってからも、
 結構体を壊して入院することがあったみたいです。」

私:未熟児で保育器に
  入っていらっしゃった時期があったんですね。
  それは、新米の母親だったお母さんも
  そして長女さんも
  つらい時期を経験されましたね。

「・・・・???(長女さん不思議な顔される)」

私:親子の人間関係って、
  生まれたときから世話をされて
  安心を与えられて
  この人を信頼していいっていう
  「信頼の絆」をつくるんですよ。
 「愛着」とかいう言葉で
 心理では説明するんですけどね。

 おギャーって生まれた赤ちゃんは、
 あったかくって柔らかい
 お母さんのおっぱいを飲みながら
 「この世の中は安心していいんだ!大丈夫なんだ。
 この人は私を守ってくれるんだ」
 という基本的な安心感とか
 安全を学習するといわれています。
 これは、赤ちゃんだけではなくて
 新米のお母さんにとっても同じで
『言葉の通じない赤ちゃん』をかわいいと思い
 愛しいと思う人間関係を
 作る練習の時期でもあるわけです。


 でも少しはなく生まれてきた赤ちゃんは
 命を維持するために『保育器』に入ると
 お母さんとの『切り離された』体験で
 始まるわけですよ。
 
 そうすると、親子のどちらにとっても
 最初のスタートがハンディー付きではじまるような
 感じと言ったらいいのでしょうか。

 だからお母さんも
 あなた(長女さん)を正直こわごわ、
  どう扱ってよいのかわからなかったのかも
 しれませんね。

身体のけがでも
一度けがをしたところは、知らず知らずのうちに
かばってしまいますよね。
もう一回痛い思いをしたくない!って。
人間関係でも
一度離れ離れになったことがあると
もう一回、信じ切っても大丈夫?とか。
甘えちゃっても大丈夫?とか、いろいろ出てくるんですよね。


「えー!?私はいつも自分だけ仲良くなれない。
 母は妹が好きなんだ。
 あたしはあんまり好かれていないんだ
 と思っていました。」


私:私も、もし心理なんてかじったことなければ
 わからなかったと思いますよ。
 そして、小さいときの親子関係ほど
 潜在意識に溶け込んでいて
 意識しない行動や感覚になっているので
  さらにわかりにくいですよね。
 きっとお母さんも、
 お母さんの立場でつらかったのだと思いますよ。
 決してどちらかが好きとかいうのではなく、
 ただ、最初に躓いてしまって、お母さん自身も
 悩んでいたのだと思います。

母の最期のメッセージ

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思わぬ母からのメッセージは
予期せぬ形で届けられた。
当時、患者さんの話を聞くという立場で
仕事をしていた私としては
患者さんへのプライバシーへの配慮を
欠いた大きな失敗でもあるのだが、
その失敗ゆえに最後のメッセージは届いたのだ。


翌日、
次女さんが鎮静=セデーションが続けられている
お母さんの元にお見舞いに来た。
そして
「母が『ごめんなさい。ごめんなさい』と
しきりに言っている。何があったのだ?
」と
言われているのだ。


個人差もあるが、
通常、この治療が始められて
4日から5日の時間経過すると患者さんは
自分の身体を動かすことができない。
そして話すこともできない。


しかし、
セデーションのプロセスの中で
長女さんの心の奥底の思いを聞いた母親は、
肉体の最後の力を振り絞って
『ごめんね。ごめんね』と伝えたかったのだ。


家族はお互いに違う物語を生きていると知ること


日頃私たちは
家族の役割を生きていることが多い。
夫。
妻。
子供。
パートナー。

縁あって家族となり、
ともに信頼を築き、
時には傷つけあい、
喜びの瞬間を共にしてきた家族。

でも肉体を離れて、違う世界へ移行するとき
人は役割から一歩おりて、
一人の人間と人間に立ち戻り
未解決の問題を解決するような
場面に立たされることがある。

同じ家族の中にいて、
同じ母親をやっていても、
相手の瞳に映る『母親』は同じではない。

同じ娘と母親でも
自分の知らない物語が
他の家族にはあるかもしれないということ。
そして、
一件波風のたつ荒波も
物語の根っこにあるお互いの思いを
知らせあうための
キッカケかもしれないという
視点を持っておくといいと思う。

肉体を持った人生の時間が
限られてくるといろんな
出来事がおきてくる。

肉体をもっているうちに
『ありがとう』『ごめんね』が
言えるならば、言葉にして伝える勇気を持ちたい。
そして
自分の人生の大部分が
黒いオセロの駒で占められていると
思っていても、
最後の一瞬に
すべてが反転する瞬間が訪れるかもしれない。

愛を伝えられずに
お互いが不器用にもがいていた
だけだったとわかる瞬間が訪れる。
そんなことを強烈に
考えさせられる出来事だった。


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