見出し画像

目の前の家族を見失う瞬間~喪失の体験の記録から~

もう9年前のことだ。
当時私は、目の前の現実が見えない状況だった。
かわいい盛りの息子がいても、
私は、虚空を見て泣いていた。
おなかの中から、
数か月で空へと帰った
抱くことのなかった子供のことを
考えて心は虚空をただよっていた。


しかし、現実にいる息子にとっては、
『僕がここに居るのに、母の心はここにない。』
そんな姿を見て、当時五歳だった息子は、
静かに声を殺してないた。
晴れた日の、公園でのことだった。

この世界へのアンカーを失ったように
さまよった日々と
その時、子供がどう反応していたのか。

今まさに、
この世に生きる意味を失いさまよう人への
シェアとして書いておこう。




1.親にとって子供を失うこと=過去と未来を失うこと

画像1

きっかけは、ちょうど、先日、
子供を亡くした友人のメッセージを読んだことだった。
『あの子さえ元気でいてくれたら。もっと幸せだろう』
『どうして、いなくなってしまったのだろう?』と
言いようのない、息苦しい思いがこみ上げてくると。


親にとって子供を失うことは
その子供とともにあったはずの未来を失うこと。
そして、
その子供とともに過ごしてきた、自分の過去の証を失うこと。

船で言えば
岸に自分をつなぎとめていた
アンカーを失うようなもので、
船としてある意味を忘れ、漂ってしまうようなものだと思う。

かつてあの時
『信じて疑わない幸せ』が確かにあったのだと
もう一度手で触って確かめたくて
消えた存在を虚空に探し求めたくなる。


そして、
こんなにも自分にとって世界は
崩れ去ってしまったのに。
時間すらも意味がなくなってしまったのに。
生きる意味さえもなくなってしまったのに、
日がまた昇り、暮れてゆく。

そして、
いつもと変わらずいるはずの、
大切なあの子だけが居ないという
理不尽な日常。
同じ世界が崩れたのならば、
いっそ世界もろとも
崩れてしまえばよかったのに。




ちょうど私も、同じような気持ちで
現実という世界にアンカーを失い、
さまよっいた時期がある。
文字にしてしまえば、よくある話なのである。

42歳、13週目の早期流産。
どれだけ多くの女性が経験していることだろう。
生まれてもいない。
性別もわからない。
『それで?。。。。』


しかし、当時の私は、
取り乱し、
錯乱し、
現実と非現実をさまよった。
たった、数センチの大きさの子供が
生きていた証をもとめようと、
聞こえるはずのない声を聴こうとするあまり、
完全にバランスを失っていた。

おりしも、妹たちは次々と妊娠ラッシュ。
ご近所さんも、おめでた続き。
お互い年が空いて待ち望んだ2番目の子だった。


2.『ボ・ク・は・生・ま・れ・て・き・て・
 うれしい。嬉しい。』

画像2


ありきたりの流産の話には、
少し変わった予兆があった。
実は、流産の起きる一週間前、
ある意味不思議な出来事によって
おなかの子供の”声”を受け取ったことだった。
(この手の話は嫌いな人も多いだろう。ただ、ここでこのことを書かなければ伝わらないので、あえて書き留めておきたい)

ちょうど、自宅を訪れていた友達が 
体を震わせて、
言葉を話し始めたのだ。
“自動書記”の音声版とでもいおうか。


『おかあさん。おかあさん。愛しています。愛しています。
 僕は生まれてきて嬉しい。うれしい。うれしい。
 早く生まれてきたい』と。

最初は、
このメッセージの主が誰だかわからず、
私も友人もきょとんとしていたのだが、
どうやら主がおなかの赤ん坊だとわかり、
次の瞬間に怒涛のような喜びの波が押し寄せてきた。
伝える彼女も私も泣いていた。
当然、生まれてくる子供が喜びの声を伝えているのだと思って。。。。


3.結果は流産


ところが、その一週間後。
定期健診で訪れた産婦人科で、
心臓がすでに止まっていることを告げられた。

たった13週間であっても、
巡り来た命の縁の濃さは特別だ。
肉体的に子供の存在が消え去っても、
夢か現か、
伝えられた声のメッセージにすがってしまうものだ。

『現実にこの腕に抱くことも、
この世の声を聴くことができなかった
子供の声をもう一度、聞きたい。』

確かに、私の中にいた子供が
いた証をもう一度聞きたい。
愚かな母の思いは、
目の前の現実を通り過ぎ
この世を超えた世界、
虚空へとむけられた。


小さな肉体の証が過ぎ去ってから
一週間ほどは変な感覚だった。
しばし母の無事を確かめる
子供の魂がともにいたのだろうか。
まるで麻酔で麻痺したような、
あまり深く考えられないような
数日が続いた。


そして、その後、魔の数週間が始まった。
現実へと戻っていく中で、
向き合わなくてはならいものは
自分が作り上げてしまった 
”期待される現実”が
なくなってしまったことを受け入れる作業だった。

やがて深く落ち込み、自分を責め、
気持ちの逃げ場所を探す日々。

もともと、この世から伝えられた ”声” ではない。
しかし、あのメッセージを否定してしまえば、
子供の存在も否定してしまうようで、
どうしてもそれはできない。
そして、その手掛かりの片りんを
虚空に探し求める日々。


食べることに興味がなくなり、
目がさえてくる。
そして一人、声を聴こうと内側を探る悪循環。


4.『お母さんはここにいるけど、ここには居ない。』

画像3


自分では、なんとか普通に日常をこなしているつもりだった。
子供を幼稚園に送り出し、
食事を作り、洗濯物を干し。。。。
子供を公園に連れ出して遊ばせる。

ジャングルジムがあり、ブランコが揺れている。
何一つ変わらない、
日常と現実が目の前に通り過ぎる。

『ああ、私のいなくなったあの子は、今どこにいるのだろう?』と
空と自分の間を見つめて心が、
漂っていた時だった。
どのぐらい、
そんな虚空をみつめていたのだろう。

ふと気が付くと、当時5才の遊んでいるはずの息子が
ふと私の横に突っ立って、
一人静かに、泣いている。
それも声を殺して泣いているのだ。
こっちを向いてというのでもなく、
遊んでくれとせがむのでもなく、
小さな体で一身に私の不在を感じて泣いているのだ。
『お母さんは、僕の横にいるけれど、
 ここには存在していない。
 また、どこかの虚空に漂っていってしまっているのだ』と
 分かって泣いているのだ。

この時に、私も泣きながら、
この世の中に戻ってきた。
この子をこんな風に泣かせてはいけない。
自分の悲しみを封印してでも、今は、
目の前に生きている
この息子のために生きようと。



自分の感情に封印をしたことは、
結果的に後で、また喪の作業が必要だった。
しかし、五才の息子の 
声なき泣き声は
虚空をさまように生きることはやめようと
目を覚まさせるには十分
深い悲しみをたたえていたのだ。


5.親が泣いているとき、子供もないている。

画像4

もう少し、心身共に元気になってわかったことなのだが、
この当時、息子は、幼稚園でも泣いていたのだそうだ。

『体操教室』という名目で行われていた
放課後の時間のことだったらしい。
外部のスポーツインストラクターの若い男性の先生が
『最近、何かお家であったのですか?』と聞いてきた。
『S君、この前の時間は、
 ”僕はお母さんのために頑張る!”と言って、
 泣きながら走っていましたよ。どうしあのかなー?』と思って。。と。


当時、私はこんなにも、もぬけの殻の体と心で生きていた。
たった、13週間ともにいた小さな命を失ったことでだ。


いわんや。
陣痛を伴って肉体を生み出し、
眠れぬ夜を過ごして、
日夜乳を含ませ、
育てた我が子を失った親は、
私の体験した狂おしさの比ではないだろう。

肉体を抱きしめ、
頬ずりをして、
あやして寝かしつけ、
背中で寝てしまったその体の重み。
泥んこになって一緒に遊んだ夏の日。

転んでけがをした泣きべそ顔。
熱を出した夜。
大きなランドセルを背負って出かける後ろ姿。
寝相の悪い布団から飛び出た足。
兄弟げんかの顔。
ふざけて冗談に笑った日。

運動会の自慢顔。
おにぎりを食べる横顔。
少し大きな学生服。
緊張した発表会。
受験の合格発表の日。
そして夜のピアノの練習の音。

こんな沢山、たくさんの思い出を抱えた母親なら
どれだけ苦しいことだろう。

でもね。
ふと息子の小さい頃の
あの声のない鳴き声と
その奥にしまい込まれた悲しみを
思い出したとき、考えた。
その母親としての苦しみを、
横で見ている別の子供がそばにいるとしたら・・・・・?
やっぱり、目の前にいる自分を通り抜けて
いつもその先の虚空を見つめて泣いている
母の気持ちは、伝わりすぎるほど、伝わるだろう。

そして、涙にならない涙をどれだけたくさん
飲み込んで成長してゆくだろう。


居なくなったお兄ちゃんとの時間も限られた時間だったけど、
僕との時間。私との時間もかけがえのない
限られた時間なんだよ。
お母さん、ってね。

子供は、やさしいというより
伝わりすぎるほど伝わるから、
『お母さん、泣かないで』とは言わないよ。
ジーっと、まっているんだよ。
お母さんの涙が乾くのを。
そしてお母さんが、幸せな顔をして、
僕を
私を
見て
また笑うその時をね。

待っているからね。
おかあさん。


そして空に還ったお兄ちゃんも、
またお母さんが心から笑う日を待っているよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?