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残念ながら我々(の脳)は善悪二元論で世の中を捉えてしまいがちだという話

我々は世の中の様々なことがらについて、善悪二元論のような捉え方をしがちだ。
こっちは正しい、あっちは間違い。
こっちは正義、あっちは悪みたいな。
そりゃ世の中を勧善懲悪ものの物語みたいにぶった切って捉えれば分かり易いし、スッキリする。
ま~、でも、当然のことながら、世の中はそんな単純ではない。実際の世の中は何が正しい側で何が間違っている側なのかは分からんことが多い。それぞれの側に正義があり、それぞれの側に大義名分があるなんてこともよく言われるわけだし。
法により合法か違法かという判断は出来ても、法により必ずしも明確に白黒をつけられるものばかりでもなく、その間のグレーのグラデーションを法の専門家達が論理に論理を積み重ねてどうにか判断を下していたりもするわけである。
しかも、合法であっても心情的には許せないとか、違法であっても心情的には共感してしまうなんてことも世の中には往々にしてあり、そうなってくるといよいよ善悪二元論なんてのはやっぱ無理な話よねとなってくる。

でも我々は世の中の様々なことがらについて、善悪二元論のような捉え方をしがちだ。我々は善悪二元論で世界を理解しようとする。
どうしてなのか。
これは、おそらくは我々の脳の機能の問題なんでないの?と思うのだ。
我々の脳ってのは、そもそも善悪二元論のような短絡的な思考をしてしまう機能が搭載されてしまっているのではなかろうかと俺は思っているのだ。
以前に別の記事にも書いたのだが、我々の脳ってのは世の中の様々なことを分かり易い物語で捉えようとするらしいのだ
我々が善悪二元論を好むなんてのは正にその良い例ではないかと思われる。
我々の脳はその機能の故に、己が持ち合わせている情報で都合よく物語を作ってしまい「こっちは味方、あっちは敵」とか、「こっちは正義、あっちは悪」みたいに世の中を分かり易くぶった切って理解をしようとしてしまうのであろう。

そう考えると、我々人間ってのは善悪二元論で世の中をどうしても捉えがちなのだという前提を我々は皆で共有していた方がいいような気がする。
「我々は世の中を善悪二元論で理解しようとしてまうのだ。そういう生き物なのだ。それが我々ホモサピエンスの限界なのだ。」みたいはノリで。
でもって、「だからこそ勉強だの教育だのは大事なんだよ~」みたいな感じの共通認識が欲しいところである。

では、何でこんな短絡的な思考をしてしまう機能が我々の脳にはあるのか。てか、どうして我々の脳は短絡的な思考をしてしまうのか。
考えられる理由としては、省エネの為ということがあると思う。
脳が消費するエネルギーを節約する為に我々は短絡思考してしまいがちなのではないかと。
我々の脳ってのは、我々の全体重の2%くらいの質量しかないのにもかかわらず、我々が1日に消費するエネルギー量の20%くらいを使うらしいではないか。
このように脳はとんだ大飯食らいなのである。
なので、省エネの為に思考する際の回路をショートカットしていくように出来ているのではなかろうかと思うのだ(因みに、この辺りは俺の憶測で書いてる部分もあるので、科学的に間違っているようならばご存知な方は是非ご指摘頂きたい)。
「節約的安定化原理(なるべく少ない労力で、分かり易くて都合のよい、安心出来る的確な結論を出したいという脳の原理の一つ)」のメカニズムなんてのはそんなようなことなのではないかな~なんて思う。

そりゃ、我々ホモサピエンスも昔々の大昔は、他の生物と自然界の中で生存競争をしていた生物種の一つだった時期があるのだから、現代社会のように悠長に物事を考えている暇なんてあまりないわな~と思うもの。
食い物を獲得するために狩猟採集したりしなければならないわけだし、他の生物に襲われることもあるわけだ。
そしたらば、ある程度の情報でもってパッパと結論を出していかないと食えないし逆に食われるわなという話よな。
ホモサピエンスが元来思慮深く何事も熟慮するような種であったのならば、厳しい自然界の中で種の保存なんて出来なかったんじゃね? と俺なんかは思ってしまうわ。
我々ホモサピエンスがそもそも思慮深かったならば、下手したら共同体すらまともに形成出来なかったのではなかろうかと思うもの。
「彼は敵であろうか、はたまた、味方であろうか。いや、そもそも自分にとっての敵とは何か?味方とは何であろうか?」みたいなことをホモサピエンス1人1人が思っていたならば、とっとと別の生物に食われそうではないか。
なので共同体を形成するには、「身内だから仲間、見た目や習慣が似ているから仲間」みたいな短絡的な思考がいるわなと思ってしまう。
我々が善悪二元論のような短絡的な思考をしてしまいがちなのは、きっと生物としての長い歴史があるからなのだろう。我々の脳のせいだと思う。

因みに、誤解を与えてはいけないので改めて伝えておくと、俺は決して短絡的な思考が良いと言っているわけではない。
我々ホモサピエンスを生物の一つの種として見れば、短絡的な思考をしてしまうのは仕方ない、そういう生き物なのだと言いたいだけなのである。
そして、もっと言うと、そういった前提を設けた上で、様々なシステムなり制度なりを設計・運営していく方が良いのではなかろうかと思うのだ。
政治についての議論の場などでも、我々は善悪二元論で世の中を捉えがちなのだという前提を設けた上で議論する方が良いと思う(俺が知らないだけで、実際はそういったことはあるのかも知れないけれど)。
我々はまず生物であるという認識が世の中にもっとあっても良かろうと思うのだ。
何せ、我々ホモサピエンスの脳について認知科学等の研究がより進み、世界中でそれらについての共通認識がもっともっと作られていければいいのにな~と思うのだ。
一方で、今後は脳についてのインチキ科学も更に増えそうな気もするのだけど。でも、俺はそ~ゆ~のに食いついてしまうんだよな~。気を付けないとな~俺みたいなわりとダボハゼ気質な野郎は。
その辺りを注意しながら、趣味で認知科学の成果を知ることが出来たらいいな~。


ええっ! ホント〜ですか。 非常〜に嬉しいです。