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香港のデモについて思う

香港で行われているデモのニュースを最初に聞いてからだいぶ月日が経過した。

高揚感を感じるだろうなと思う。
誤解を恐れずに敢えて言うと、楽しいのだろうなと思う。

香港でデモ活動に参加している若者達の心境についてのことだ。
勿論、俺の勝手な憶測でしかない。
そして、彼らを批判するつもりは毛頭ない。むしろ応援したい。
この日本で自由や人権という公共財の恩恵を受けている身としては、心情的には中国共産党よりもデモ隊の方にこそシンパシーを覚える。
彼らは必死に戦っている。
それを見て、「高揚感を感じるだろうなと思う。」「楽しいのだろうなと思う。」という感想は不謹慎であり、下劣な感情であると思われるかも知れない。
いや、そう思われて当然だと思う。
平和な日本でヌクヌクとしながらナメた発言をしてることは重々承知している。
それでも、俺は「きっと彼らは高揚感を感じて楽しいのだろうな~」と思ってしまうのだ。

フランスの社会学者、ロジェ・カイヨワさんが著書「戦争論」の「第2部 戦争の目眩」で、戦争が人間の心・精神を如何に惹き付けるかを述べており、それについて哲学者の西谷修さんがNHKの「100分de名著」というテレビ番組で以下のように解説していた(NHKテキストで出版もされている)。

かなりざっくり言うと、戦争は「祭り」と通ずるところがあるのだと。戦争と祭りは全てが同じではないのだが、共通する部分があるのだと。
我々人類を集団として見たときに、戦争も祭りも人に熱狂や興奮、恍惚感や陶酔を与えるものであるというのだ。
戦争も祭りもマンネリ化した日常の規律を逸脱出来るものであり、ガス抜きの効果があると。
日々の単調さを打破し、平常の規範を一時中断するものであり、経済活動のサイクルの中では消費活動、浪費活動を担うのだというのである。
そして、人類を集団として見たときの動きの前では、個人個人の意思や思いはその動きに飲み込まれてしまうので勘定には入らないとのことなのだ。
(因みに、誤解があってはいけないので付け加えておくと、戦争を礼賛しているわけではなく、冷静に考察しているのであり、戦争は祭りと共通項があるという前提で戦争をなくしていく処方箋を模索していこうという内容。)

う~ん、なるほどと思った。
よく言われることだが、オリンピックやスポーツは代理戦争の側面があるのだけど、正にそのことよなと思うのだ。

また、俺なんかが個人的に思うのは、例えば日本の戦国時代の戦(いくさ)なんてのは、半分楽しんでやっていたのではないかな~なんて思うのである。(重ね重ねナメた発言であることは充分に承知。戦により様々な悲劇があったであろうことも当然に認識している。)
現在あるようなスポーツがない時代だ(剣術や弓術なんかはスポーツと言えるのかも知れないが)。しかもたいした娯楽もない時代である。祭りと戦ぐらいしか集団で興奮出来るものはないのではなかろうかと思う。
皆で槍だの弓矢だの石だの持って「エイッ!! エイッ!! オオオォォォッ!!!!! 」とか鼓舞し合って戦うのである。運動会の騎馬戦を命懸けでやるみたいなノリではなかろうか。または、サッカーのような球技を人数制限なしの殺し合いOKのルール付加でやったるぜみたいな。ホント、アツいぜ戦国時代と思うもの。
で、江戸時代になり戦がなくなったので「火事と喧嘩は江戸の華」とか言うようになったんでないのとか思うもの。一方で、戦のない平和な世の中になったからこそ、江戸時代には様々な文化が華開いたわけでもあるのだけど。

話を香港のデモに戻す。
デモではあるのだが、もはや内戦のような状態であるとも言えると思う。当事者の皆さんにとっては本当に大変な状況であると思う。
それでも、ニュースやTwitterで香港のデモの情報を見ると、俺はちょいちょい「高揚感を感じるんだろうな~」「楽しいんだろうな~」なんて思ってしまうのだ。
Twitterで流れてきた動画「ガスマスク越しのキス。ディストピア感ある。」みたいなものを見てしまうと益々そう思うもの。
別に彼らを咎めるつもりは毛頭ない。むしろ、そ~ゆ~のいいね!と思ってしまう。
勿論、そういったシーンが今回のデモのほんの一部分であることは理解しているし、そういった人も含めて大勢の人が命懸けで戦っているのだと思っている。

デモに参加している多くの若者達はきっと自分達の側に正義があることを信じて疑っていないのであろうし、その正義の為に彼らが本気で戦っていることに俺は敬意を表したいと思っている。
もし俺が香港の若者だったならば、間違いなく高揚感を感じながらデモに参加していたと思う。で、間違いなく警察とかに火炎瓶を投げつけてると思う。
でも如何せん、俺は日本にいる中年のオヤジであり、こなさなければならない日常の方が優先順位が高いので今回のデモには参加しないのだけれど。
それでも、香港の若者達を見て自分達の正義の為に戦うなんてかなりアツいし楽しいのだろうな~と思うのだ。

以前、別の記事にも書いたのだが、本来は世の中は善悪二元論で簡単に片付けれるものではないのだ。
しかし、自分らの側が絶対的な正義の側であるという信念の下で戦うのは凄く楽しいのではないかとも思うのだ。
しつこいようだが、そういった行為を今回は批判するつもりはなく、馬鹿にしているわけでもない。
うらやましいのだ。
ホント、ナメた発言なのは分かっているのだが、なんか、こ~、レジスタンスみたいな、そ~ゆ~のがうらやましいなと思ってしまうのである。

ぶっちゃけ言うと、俺は中国共産党が絶対的な悪だとは全く思っていないのだ。
そりゃ、中共がチベットやウイグルで行っていることは許せないし、俺の知る限りそこで行われていることについては本当に鬼畜の所業であるとすら思う。
今回の香港についても、心情的にも思想的に共感するのはデモ隊の側だ。
ただ、中共の行っていることが全て悪だとは到底思えないのも事実だ。
例えば、中共が行っている監視社会はマイナス面がある一方で、様々なメリット(例えば、治安を改善させ、同時にモラルやマナーを含めた民度と呼ばれるものを向上させていること等)を国民にもたらせていると思うわけで。
経済を発展させ、テクノロジーを推進しているのは間違いなく中国共産党の実績だと言って良いのだろうなとも思うのだ。

中共は絶対的な悪とは言えない。従って、デモ隊の皆さんも絶対的な正義だとは言い切れないと俺は思ってしまう。
それでも香港のデモ隊を応援したくなる。
ある程度の歳をとったせいか、若者がアツく戦っている姿を見ると「いいね!アツいね!楽しそうだね!頑張って!」と思ってしまうのだ。
夏の甲子園を見るような気持ちというか(クソ暑い真夏に高校野球の大会を実施することについての是非はここでは置いておく)、または、映画「スターウォーズ」シリーズを見ていてアツくなってしまう気持ちというか、そういった感情で今の香港を見てしまうのだ。
そのような気持ちで今回の香港のデモ活動のニュースを消費してしまうことが、何だか俺って下衆な人間だな~と思い、やや自己嫌悪ぎみになりそうにもなるのだが、でもやはり「高揚感あるだろうな~、楽しそうだな~」と思うのが俺の偽らざる感情だったりする。
いや~楽しそう。
ホント、不謹慎で申し訳ない。
でもホント、楽しそうなのだ。
やはり申し訳なくも思う。
それでもやはり、うらやましいな~と思うのだ。

犠牲者が出ないことだけを願う。




ええっ! ホント〜ですか。 非常〜に嬉しいです。