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前提を変えたら、世界が変わった

2週間前、自分の目指すセラピスト像について書いたところ、

クライアントさんの1人が、ご自分の気持ちにとても正直に、丁寧に向き合い、真摯なnoteを書いてくださいました。

更に、cotree運営のべとりんさんが、4月頭に2時間近く語りまくったことを元に、こんなnoteを書いてくださいました。洞察の鋭さ&深さ、表現の的確さ、そして真摯な姿勢が伝わってきて、胸を打たれました。

リレー方式になってきたnote、せっかくなので、核となっている「答えは必ず本人の中にある」「望ましい変化のためのカギは、全て本人の存在の中に備わっている」ということについて、もう少し掘り下げたいと思います。

私の最初の「前提」

アメリカの大学院でカウンセリングを学び始めて2年目。インターン生として、初めてクライアントさんを担当することになりました。場所は、大学院付属のカウンセリングセンター。そこは、トレーニング中の院生がケースを担当するため、セッション内容は全部録音、そして、スーバーバイザーと一緒にケース検討を行うことを条件に、セッション料金がかなり安めに設定されているところでした。

とにかく「必死」だった当時の私。第一には、言葉の問題がありました。クライアントさんは当然英語で話すので、それが分からなかったらどうしよう、信頼関係が築けなかったらどうしよう、怒られたらどうしようと、一言も聞き漏らすまいと必死でした。

でも、それ以上に「必死」にならざるを得なかったのは、当時の私のカウンセラー像にありました。「カウンセラーは、『いい』アドバイスをするもの。クライアントさんの悩みを解決するもの」という前提で、「そうでなければ、セッションの意味はない」と決めつけていました。

カウンセラーは『万能』で、クライアントさんを『治すもの』と思っていたので、それはもう、物凄いプレッシャー!!

でも、自分自身はそんな「万能」には程遠く、若く、人生経験も浅く、年上のクライアントさんを前に「どんなアドバイスが出来るのか」「自分に何が出来るのか」と悶々としていました。そして、そんなことをぐるぐる考えているもんだから、クライアントさんの話も全然聴いていませんでした。

最後の手段としての「カウンセリング」

カウンセリングに来る方は、「考えられることは考え尽くしたし、試せることは全て試してみた。でも、それでもどうにもならなかったから、ここに来た」「一縷の望みをかけて、ここに来た」という方も多いです。

そんな方々に対し、1時間弱話を聞いただけで、「その方が、今まで考えつかなかった素晴らしいアドバイスをすることが出来る」とか、ましてや、魔法のように「悩みを解決出来る」なんて、考えていたこと自体がおこがましく、心の底から恥ずかしくなります。

当時のクライアントさん達にとって、私はどういう存在だったんだろう?

今振り返ると、トレーニング中の大学院生の身で、英語も十分に話せず、ということを差し引いても、「アドバイスをしよう」「問題を解決しよう」という姿勢自体が(実際はできなかったけど)、この上なく失礼で、相手への尊敬も敬意もなく、相手に無力感を与えるだけだっただろうな、と思います。

「前提」の変化による、セッションの変化

そんな風に「カウンセラーは万能で、クライアントを治すもの」という前提から、「クライアントさんは必要なものを既に持っている。カウンセラーは、それを引き出すお手伝いをするだけ」と前提が変わったことで、セッションの内容、そしてカウンセリングの効果も、がらりと変わりました。

「私が何とかしなきゃ、私が治さなきゃ」と思っていた時は、クライアントさんも「カウンセラーに何とかしてもらおう」と受身になってしまい、ご自身の強みも良さも、全く発揮されないままでした。私も「劇的なアドバイス」なんて到底出来ないし、ひたすら話を聴くものの、何の変化もなく、あっという間に数回のセッションが経過、なんてこともありました。

でも私が「クライアントさんの中に、全ての答えはある。問題は、それをどうやって引き出すか」という姿勢で接すると、不思議なことに、実際に、その答えが出てきました。そして、「自分自身から答えが出てきた」ということは、ご自身への信頼回復のきっかけにもなり、そこから色々なことが好転、ということも少なくありませんでした。

どのように「前提」が変化したか

今回noteを書くにあたり、自分の前提がこれほど変化していたことに、初めて気が付きました。振り返ってみると、象徴的な出来事によって、一気に前提がひっくり返った訳ではありません。2年半ほどかけて、師匠から3つの講座と12回の個人セラピーを受けるうちに、ゆっくりと、でも着実に、自分自身、そしてクライアントさんも含めた「人間存在自体への信頼」が増していった気がします。

外へ外へと答えを探していた自分が、内側を見た時、そこに既にあった答え。そして、自分自身が本来持つ力。自分自身への信頼を得た時、これは全ての人に共通する普遍的な事実では、と感じました。

先生からは、「答えは必ず本人の中にある」「望ましい変化のためのカギは、全て本人の存在の中に備わっている」というメッセージを繰り返し受け取りました。こんなに素晴らしい先生が言うんだから、きっとそうに違いない、だったら私もその前提に乗っかりたい、そう信じたい、そう思いました。

なので最初は「答えは必ず本人の中にあると信じよう」「きっとあるはずだから、探してみよう」と、すがるような感じでした。どうか答えがありますように、どうか見つかりますように、と。

そして実際のセッションで、そういう前提に立ち、ゲシュタルト療法の「エンプティーチェア」をやってみた時、本当に「素晴らしいアドバイス」や「答え」がご本人の中から出てきました。

「未来の自分」から「今の自分」へのアドバイスや、「メンター」から「今の自分」への言葉がけなど、どんなに頭を捻っても、私が考え付くことのなかった素晴らしいアドバイス、癒しのメッセージが、ご本人の口から出てくるのです。

そして、ご自身の中から出てきたメッセージは心に染みわたり、時には、今までご本人も触れることの出来なかった、心の奥深くまで届くようなこともありました。その強烈な癒しのパワーは、ご本人の中から出てきたからこそパワフルなのだ、と痛感しました。

そんなことを繰り返すうちに、いつしか「答えは必ず本人の中にあると『信じたい』」が「答えは必ず本人の中にあるという『確信』」になりました。

セラピストの身をも守る、この「前提」

この姿勢について、cotreeユーザーの五十嵐さんも記事の中で触れてくださいました。

なんだか段々と、この「前提」だか、この「私」だかが「高尚なもの」になってきている気がしてむず痒く、最後に、実はこういう前提に立っているのは、セラピストである自分を守るためでもある、という弁解もしておきたいと思います。

大学院2年目で初めてクライアントさんを担当した時には、1週間に1回、50分のセッションだったのですが、寝ても覚めても、セッションのこと、クライアントさんのことについて考えていました。「セッションの後、どうなったかな」から始まり、「こうしてたらよかったかな」とセッションを反芻。極め付けは「あなたなんてもういらない。別のカウンセラーに変えてください」って言われたら、どーしよー!!!って、、、ザ・逆転移!苦笑

たった1ケースしか持っていなかったし、密なスーパービジョンを受けていたので、そんなに悪い方向には行くはずもなかったのに、自分の不完全さを責め立て、無力感に襲われ、1人相撲にもうぐったり、でした。

「確かな拠りどころ」を手がかりに

今は、予約枠が全部埋まると、16時から23時まで、7枠連続でご予約を承ることもあります。もちろん、全力投球x7の後には疲れを感じるものの、それでもやっていけるのは、「答えは必ず本人の中にある」「クライアントさんに力がある」ことを前提としていることが大きいです。

全てのクライアントさんの人生を「『私』がなんとかしよう」「『私』が助けよう」と試みたら、絶対無理だし、確実に燃え尽きるでしょう。

でも、「今まで大変なことがありながらも、何とかここまでやって来られた」という事実に目を向け、「ここまで何とかやってこられたのは、もしかすると、ご本人も気付いていないかもしれないけれど、ご本人の中に『何か』があるに違いない」という前提は、クライアントさんだけでなく、セラピストである私にとっても「確かな拠りどころ」となり、セッションを進めていく上で、双方にとっての「支え」となります。

必要なことは、既にその人の中に存在している。ただ今は、それが埋もれて見えなくなっているだけ。とはいえ、悩みの渦中にいる時には、そう信じるのも難しいし、それを自力で掘り出すのも至難の業。そんな時に、そっと寄り添い、ちょっと手助けをする。カウンセラーってそんな存在だと思っています。

 

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