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存在で癒すセラピスト

私はカウンセラーとして、日々、たくさんの方からお話を聴かせていただいています。生い立ちや現在置かれている状況、悩みの内容は本当に人それぞれです。

そして、カウンセリングを重ねていくと、相談内容も相談者さん自身も変化していきます。そのため、毎回毎回が真剣勝負。カウンセラーとしての対応に絶対はないので、ただただ、その瞬間のベストを尽くすよう、心がけています。

カウンセラーって?

カウンセリングを受けることが一般的とは言い難い現在、「カウンセリング」も謎であれば、「カウンセラー」も謎な部分があるかもしれません。カウンセラーの在り方、クライアントさんとの関わり方は、本当に理論によりけりで、「クライアントを写し出す鏡であるべき」という理論もあれば、「生徒であるクライアントを教師のように導くべき」という理論もあります。「クライアントに、ただただ寄り添い、耳を傾けるべき」という理論も。

私自身も、大学院や、研修、セミナーなどで、色々な先生に出会い、様々な理論や考えに触れてきました。そんな中、私の「お師匠さん」は、どの先生とも違った存在で、違った関わり方をする方でした。そして、「前提」の大切さを、身をもって教えてくださった方でした。

前提の大切さ

先生は、「答えは必ず本人の中にある」「望ましい変化のためのカギは、全て本人の存在の中に備わっている」という前提に立っていました。そして不思議なことに、先生がそういう前提でいるので、「必ず答えやカギが見つかる」のです。「必ず」です。カウンセラーがどういう前提に立っているか、そこから既に、カウンセリングのプロセスはスタートしているのでした。

「セラピストの椅子」と「クライアントの椅子」

また、「セラピストが『セラピストの椅子』にしがみつけばしがみつくほど、クライアントは『クライアントの椅子』にしがみつく」ともおっしゃっていました。「セラピストがクライアントを『治そうとする』」=「クライアントを『自力ではよくなれない存在』と見なしている」ということで、その見方自体が、クライアントから力を奪ってしまう、と。セラピストが「治そう」と頑張れば頑張るほど、クライアントも「治してもらおう」と頑張ってしまい、クライアントの持つ力が発揮されることはない、と。

ただ純粋に「クライアントさんを助けたい」「クライアントさんの力になりたい」と願い、関わっていた自分には、大きな衝撃でした。

存在への絶対的な信頼

「カウンセラー」と「クライアント」、また、「先生」と「受講生」という「椅子」を取っ払い、とにかく、対「人」として接してくださった先生。

先生と接するだけで元気になり、一緒の空間にいるだけで力がみなぎってくる感じでした。事務連絡の電話をくださった時でさえも、受話器から暖かいエネルギーがゆるゆると流れ出てきて、灰色だったオフィスに色彩が加わる(最初に先生と電話で話した時、本当に起きました!)、そんな先生でした。

それは先生が、私自身の力や可能性を「当然あるもの」と見なし、私の存在自体に「絶対の信頼」を寄せてくださっていたからだと思います。そして、その前提に「ひょっこり」乗っかるうちに、気がつけば前よりずっと元気になって、自分自身への信頼も増していました。

先生が遺してくれたもの

先生の講座を受けてから10年、先生がこの世を去ってからは8年程が経過しました。10年経ってようやく理解できるようになった教えも少なくないですし、先生が蒔いてくれていた種が今になって「ひょっこり」芽を出したりもしています。セッションが上手くいった時、そして上手く行かなかった時も、先生のことを思い出し、先生だったら何て言うかな〜、どんな関わりをするかな〜と考えたりしています。

ガハハ!という豪快な笑い声や、「ほうほうほう〜!」という独特の相槌、そして、どこまでも優しい眼差しを思い出し、温かさを感じると共に、もっと生きていてほしかったな、教えていただきたかったな、という寂しさも感じます。

存在で癒すセラピスト

「存在で癒すセラピスト」、そんな有り様が可能であることを、先生は示してくださいました。相手の力、可能性を「当然あるもの」と見なして接することで、本来の力を引き出し、自然と変化を引き起こしていた先生。ふと気づけば、今までよりも随分と楽に生きていけるよう導いてくれていた先生

そして、どんなに感謝を伝えても「いや〜、私は何もしていませんから〜!ガッハッハ〜!」と本気でおっしゃっていた先生。(だって、答えは元々本人の中にあったんですから〜!)

まだまだ、またまだ、道のりは長いけれど、セラピストとして、私もそんな存在に少しでも近づけていけたら、と思っています。

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