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70年前、日本人は家に鍵をかけてなかった、というはなし。

 私の母は、1939年生まれ、日本海側の雪深い農村の出です。小学生の頃、かやぶきの大きな屋根の農家にはお金などなかったよ、と言います。1940年代の終わりごろ、村で現金を家に持っている家なんてほぼなかったよ、と。じゃそこが特別貧困な村だったのか?そういうことでもなさそうです。母は「戦後の混乱」っていうのを、あんまり知らない、と言います。聞かれてもあんまりその手の話はないなあ、と。食べるものがなかった都会にくらべれば、あんまり変化を感じていなかったというのは、土地さえあれば暮らしは立つ、農家ならではのお話かな、と思います。それにひきかえると、父は同じ北陸でも、農地を持たない貧しい家で、都会に出るほかなかった長男だから、話の内容がちがいます。母の農家の話は、どちらかと言えば、なかでも貧しいとは言えない階層のエピソードなのだと思います。

 ある日、小学校の先生に母は「給食費を持ってきなさい」と言われました。帰ってきて、まだ若かった祖母に言うと「お金なんかないぞお。となりのばばにもろてこい」と言われる。母はとなりのばば(おばさん)のところに遊びに行って、言いました。となりのばばは「ああ。ほうけえ(そうなの)」とお金をくれたそうです。それは、特に憐れむ、とか、叱られる、ということでもなく。プラスもマイナスもなく、それならどうぞ、と。お醤油貸して、みたいなことなんでしょうか。「お醤油貸した分返せ」とは言わないでしょうから、同じノリで、「あの貸した給食費返せ」とは言われない、というノリだったようです。その「となりのばば」はとうに死んでて私は会ったこともありませんが、それにそっくりの娘さん、が老人になった頃を、子供時代の私は知ってます。もうその老人もとうに亡くなりましたが。その方言のきついおばあさんの様子から、その様子を想像しました。
 だけどそれを聞いた私にはやっぱり、いまひとつ感覚的に納得はできませんでした。お金をとなりのおばさんにもらうって?それはどういうこと?

 別のある日のおはなし。冬の日です。今と違って北陸の冬は深い雪。畑仕事のない男たちはすることもないので、昼間から誰かの家にお茶をしに行く。女たちはわら仕事。囲炉裏ばたにいつの間にか男たちは何人も集まり、お昼を過ぎると女たちに遠慮していたお酒が始まる……という日々だったそうです。出稼ぎで都会に、などということもあんまりなかったよ、というはなしです。冬、農家は働いてなかったのです。
 いや、日本では、総じて、給料もらう雇われ人も、職人さんも、いまどきのサラリーマンよりはよっぽど働く時間は短かったのです。
 しかし、たまに男たちが野に出て二、三日も帰らないということがありました。雪の野山に入って、鉄砲持ってってウサギ狩りだ、というのです。帰ってくると男たちは両手にどっさりウサギをぶら下げています。さあごちそうだ。自分たちでさばいて肉を食べるのです。ごちそうが半月は続くぞお、…と幼い母は唾をのみました。しかし、そんなには続かないのです。なぜなら、とってきた男たちは集落中に「とってきたぞお」とふれまわるからです。「食べにこーい。」と。
 その夜は囲炉裏に大勢の集落の衆がよってたかってウサギ鍋。焼きうさぎ。うさぎの刺身は食べたんでしょうか。とれたての肉はいまどきの冷凍ものと違っておいしかったと言います。今の肉は、冷凍されて何千キロもトラックで運搬されて何週間もかかって、それを解凍してようやく食べるんだから、もう肉のなれの果てみたいなものよね、と母は言います。おまけにみんなで食べるんだからおいしい。男たちは酒。女たちはバカ話。囲炉裏端のそういう雰囲気を、幼い頃の私はちょっとだけ体験したことがあります。あれはきっと、おいしい。
 そんなことだから、ウサギの肉は数日も持たずにあっという間に消えました。なぜ?…母はさみしくは思ったのですが、そのうち納得した、とのこと。だってそんなもんだから。だって、みんなもそうしてるから。村の人はこうやってるから、常日頃、家にたいしたたくわえなどないのです。だけどなにか持ってたら、村の人たちになんでもふるまってしまうのは、損をしてるようで、得なのです。ふるまってる限り、人からはふるまってもらえるから。持ってる時はみんなに恵み、困った時はまわりにもらう。合理的な安全保障のみちなのです。
 だから、どの家も鍵などかけなかったのです。取られるものなど置いてないのだから当然なのだそうです。今も、農村では築70年やら80年の大きな屋敷には広くて長い縁側があります。あの長い縁側にはしめ切ろうと思えば何枚も雨戸がたてられますが、いちいち外出するたびに全て閉め、鍵までかけるなんて大変な手間です。そりゃ普通しません。加えて家の裏口にはたいてい大きな農機具用の倉庫がくっついてるもので、その大きな出入口、裏も表も両方に、巨大なシャッターなどつけられるものじゃありません。

 近所できいた話ですが、10年ほど前、ある農家が倉庫から肥料の山をまるごと盗まれました。警察に来てもらって、一応届け出をしたら、言われました。「鍵はしめるようにしてくださいよ。」おじいさんは言い返したそうです。「そんなことどうやってできるんじゃ。あほ言うな。」愛媛の、柿の農家です。泥棒はたまに集落にひとりくらい現れて、だいたいどのじいさんか見当はつくからいちいち追及しないんだけど、その時は腹立ったから、あてつけの意味で警察車両を見せたろう、というだけのために届け出した、というような話でした。

 現代の家は作りが違います。窓が小さい。だいたい軒が低い。サイズが全体に小さい。玄関の戸も小さい。だから締め切りやすくできてる。鍵はたいてい一つか二つ締めたら完全密閉が実現するのが普通です。一軒一軒が厳重に鍵をかけ合い、盗まれるのではないか、とびくびくくらしている、現在の日本。不信と不安が日常の今の日本。
 一方、日本の40年、50年前の家の作りがだいたいああした「サザエさんち」ふうの長い縁側つきのものだった、ということは、他の地方でも「家にとられるものはない」暮らしだった、と言えるのでしょう。鍵なんかない、っていうのはよく聞く話です。
 「うちに金なんぞないぞお。となりのばばにもろてこい。」
――これはおそらく私の母だけが言われたセリフじゃない。人口の9割が農家だったついこの前までの日本人の豊かさを示すセリフなんだ、と私は理解しています。ひとりあたり所得ははるかに小さくても、どれだけ安心と信頼を大多数の庶民がもっていたか、が想像されます。
 これがよく言われる「地域コミュニティの喪失」の中身です。今も古い農家のつくりからは、そのこころの持ち方ぶりがしのばれるのです。
 さて。
 この15年で、子どもが精神疾患を持つ数が倍増しています。
二十歳未満の精神疾患総患者数2002年139,000人2017年276,000人。厚生労働省『患者調査』より。15年間で2倍増。
 
 これは統計に現れている現実です。もしかしたら、街なかに心療内科や精神科クリニックが増えて、以前よりは気楽に診察をうける子供たちが増えた、というだけのことなのかもしれません。それだけ、精神科というものを忌避する偏見が、大人の中から消えたということを示しているのだから、決して悲観しなくていい数値なのかもしれません。
 しかし、15年で2倍、はさすがに、すごい変化です。精神科への偏見がそれほど激しくへった、精神科医や心理師には過ごしやすい国になった、という感覚を私は肌で感じることはありませんから、控えめに見てもこれはなにかの実体の変化と考えたほうがよさそうです。

 “大人の社会に不安と不信が高まることが、子どもたちの健康を直撃している”

私はこの仮説がどうしても頭に浮かびます。
 心の健康がおびやかされる国を、幸せな国と言えるんでしょうか。幸せに生きる、というのは、所得を大きく得て生きる、ということなのか?先進国で経済力豊かに生きる、ということなのか?
 私たちがこころを病んでしまうのは、まことに「私たちが弱いから」ではない。そう言える要素が大きいのだと思います。
 身近な人に、もっと頼れる心、たよっていいというこころで過ごしたい。そのためのお手伝いを、私はしたいのです。

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