スポーツ文化と批評とか分析のこと

出雲駅伝が始まった。この文章は出雲駅伝のレース中に書いている。今の所青山学院がトップにいる。近年の青学は強い。
この躍進にはもちろん、原晋監督の指導力の賜物であるという面が強いのだと思う。他方で、原監督はメディアへの露出も多く、社会人勤めの経験を経てから監督に就任したりしていることもあり、話題に事欠かない。青学の選手も、どちらかというと「イマドキ」(死語でなければ)の学生が多く、青学自体のイメージも手伝って、今までの学生スポーツ界に「新風を吹かせる」というように評されたりする。
他方で、それはすなわちそれまでの「スポコン」のようなものを乗り越える新しい在り方としても受け止められる(実際は、あれだけの記録や成績を残すには並々ならぬ努力が必要だし、そういう厳しい日々を越えつつあれだけのある種の華やかなイメージを出せることや、いかに、という感じなのだが)。

昨日、大迫傑選手がシカゴマラソンで日本新記録となる2時間5分50秒でゴールした。大迫選手も学生時代から注目されていたが、無理に駅伝に出て貢献する(うがった見方で言うならば、「チームに尽くす」ということではない)というよりも、個人の力を伸ばしていくような活動をしていた様に思う。勿論、駅伝でも活躍していたけれども。

近年、スポーツ業界において様々な問題が噴出している。あえて例を出すことはしないが、パワハラ、トラブル等・・・たまに、長年第一線で指導を行っている指導者から、「こんなことまでパワハラ、体罰では指導なんてできない」という言説も聞かれる。

明らかに、「指導」ということの捉えられ方が変化している。そしてそれは、おおむね現在の4,50代の指導者を中心に自主性を尊重する在り方が提示されるようになってきている気もする(例えば原晋監督は1967年、桑田真澄氏は1968年生まれ)。
これらの世代は、ちょうど、「ロスジェネ世代」のはじめか、もしくはその少し前ということになるだろうか。そのことがどれくらい影響しているかはわからない。しかも、今例に挙げた二人は、どちらかというと、「成功者」の部類だろう。ただ、ロスジェネと言われた世代が、現役を経て、そこに何を感じているのか。また、ある種の熾烈な競争を勝ち抜いてきた人たちが何を見ているのか。

そういう指導とか集団とかへの考え方って、ある意味では一つの小さな社会の考え方を提示するという意味で、社会とか時代を映すものでもあるのだと思う。

・・・みたいなこと考えたんだけど、そういやスポーツとそういう言説って、あまり結びつかないな。とふと思った。スポーツ批評というと狭義の中身の話が多いものな。スポーツも一つの「文化」なら、そういう視点の批評ももっとあっていいのかなとふと思った。私が知らないだけか。
あと、こうなってくると、逆に「超絶管理社会」みたいなスポーツ集団も(それがあくまで各選手が希望するということであれば)出てくるのだろうと思う。結局どういうあり方が良いかも、絶対的なものではなくなる。特に学生スポーツは「教育」とも結びついてしまうので。これは部活動、全般的に言えることか。


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幸村

自分のための記録の様なもの

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