東京、福島、ソウル。その風景について。

ここ数日観劇が続いた。

10月25日に、ひとごと。『そこに立つ』を、26日に、マレビトの会『福島を上演する』を、27日に『ソウル市民』『ソウル市民1919』を観た。
いずれも良作で、決してドラマが大きく展開するわけではないのだが、観てよかったと思えるものばかりであった。

ひとごと。『そこに立つ』は人々の行きかう電車の中の様子を描いていた。朝の満員電車で人々が窮屈そうにする様子、夕方の電車で帰っていく学生など、複数の役を5人の俳優が演じ分ける。いや、演じ分けるというよりは、性別や背の高さの様な、最低限の情報を除いて記号として表象されているというくらいにそれぞれの俳優は特性や属性を極力排除しているようにも見える。
電車という場所は、通勤、通学の様に、手段として用いる場合には「日常」の範囲だが、パーソナルスペースを越え、圧倒的に近い距離感(というよりは接触しているのだけれど)で空間を共有するという意味では「非日常」的でもある。例えば観劇中に隣の人の咳払いや携帯の振動音に反応してしまうのに対し、満員電車の中ではむしろ他者の存在や振る舞いをシャットダウンすることがある。すなわち、しばしば非日常を体験すると言及される空間以上に、そして日常生活の一部でありながら、非日常の振る舞いが浮かび上がる。そして、演出の山下恵美はその異常さを浮かび上がらせる。当日配布された演出ノートには次のようにある。

❝よく考えたら電車の中とか、ホームからホームに移動する時とか、めちゃくちゃ人がぶつかったりどついたり、寄りかかったりしてて。
それを大体みんな何も思わず受け入れてる。受け入れてるっていうか、気付いてさえいなくて、自覚なく、ぶつかる方もぶつかられた方も、慣れ?
自分の身体の状態を自覚していなさすぎるというか。❞
(ひとごと。「そこに立つ」演出ノートより)

劇中、その姿は、まるでコンテンポラリーダンスを踊るダンサーの様に、反復され、強調され、俳優の身体によって表現される。
(ただし、アフタートークで演出の山下は過剰にしたつもりはなく、むしろ今の「慣れ」の状態が行くところまで行くと、全くありうる動きなのではないかという旨の発言をしていた。※うろ覚え。)

身体は過剰なまでに窮屈で、しかしシャットアウトされた精神は空疎で、電車内での時間と空間をやり過ごすような会話は無意味ですらある。途中、電話をするシーンがあるが、その通話(=そこにいない人との会話)が一番感情がこもっていたようにさえ思われる。

恐らく、これから満員電車に乗る時、ふと、そんな「異常さ」について思い当ってしまい、そこからいかに抜け出すか、「慣れ」てしまわないか、むしろこれからいかに楽しんでいくのかを考えるようになるのかもしれない、そんなことを考えた。

ただし、これは私の観劇した回で綾門氏が言及していた通り、ある意味で東京でしか取り扱えないテーマであるようにも思うし、満員電車は東京が「冷たい街」「住みにくい場所」として言及されるときのある種の象徴でもあるのは事実だろう。

・・・

マレビトの会『福島を上演する』は4日間それぞれ上演戯曲が違っている。私が観たのは『草魚と亀』『峠の我が家』『みれんの滝』『アンモナイトセンター』の4本。なので、そこにのみ言及。
実はマレビトの会を観るのは初めてで、「長崎」「福島」といったキーワードから少し身構えて観に行った部分があったのだが、思っていたものとは異なっていた。

そこで描き出されるのは日常生活の一ページであった。飯盛山といった様な固有名詞は登場するため、なるほど福島なのだが、決して何かの「お題目」を掲げる様な作品ではない。

描かれるのは登山雑誌の取材風景であり、これから生まれる命とこれまでの先祖の話であり、ハイキングにやってくる人々の話だったりする。
勿論一つ一つの話から無理やり福島のことに結び付けることも可能だし、その必然性も必ずしも失われているとは思わないが、そのことは主題ではないように感じた。

むしろ、それくらいの日常の中に現れてくる些末な、もしかすると取るに足らないかもしれないことの中から福島という場所を立ち上げていくという作品なのかもしれない。

・・・

『ソウル市民』(以下、『市民』)『ソウル市民1919』(以下、『1919』)は日韓併合前のソウル(京城/漢城だが作品名よりソウルに統一して言及/1909年)と三・一独立運動の最中のソウル(1919年)を描いている。特に『市民』では何か大きな出来事が起きるわけではなく、韓国で文具店を営む一家のもとに様々な来訪客がやってくるというもの(その点は『1919』も同様だが、三・一独立運動の最中という点では多少異なるか。以下、特に作品を切り分けず、両方について言及している)。

舞台となる篠崎家の暮らしぶりは比較的豊かなようで、その様子は衣服や調度品などからも伺える。そして、この両作品で描いているのは、その豊かさからくる、また韓国が日本によって併合され、独立運動が巻き起こるという10年間の「無意識的な残酷さ」ではないだろうか。

韓国(朝鮮)に出自を持つの使用人の前で、韓国併合を素直に喜び、融和を信じ、三・一独立運動に憤る。そしてそれに対し使用人に共感を求める篠崎家やその周りの面々には、恐らく悪意が全くない。むしろ善意ゆえに、自身の行ってきたことや生活を良いことであると信じるがゆえ、にそのように振る舞う。ここで重要なのは、両作品はおそらくそのこと(=ある種の日本の責任の様なもの)を糾弾したいわけではない。むしろ、そうなることのある種の必然性、人間の業を描き出すことによって、その残酷さを観客に問いかける。

例えば『1919』では登場人物の一人、幸子は、しきりに見合いを進められる。どうやら一度日本で結婚した(嫁いだ)ものの、別離を経てソウルに戻ってきた様子。両作品を通して登場人物のうち、男性は留学や転勤、女性は結婚(お見合い)と、当時のジェンダーロールに応じた身の振り方を迫られているのだが、その幸子が一度の別離を経た理由は、「日本の風土がじめじめしていること」や田舎の「貧乏な日本人」を観て嫌気がさしたことなのだという。そして、何一つ不自由のない韓国で、気の合う韓国人たちと「楽しく」やっていきたいのだという。

ここには二重の残酷さがある様に思える。女性として結婚や見合いをしきりに勧められるという立場の残酷さと、その立場の女性が日本や韓国の「持たざる者」を正確には認識していない(しようとしない)という点において。
当然、篠崎家では三・一独立運動がなぜ起こるのかも認識し得ないだろう。

当時のソウルにいた日本人がここまで、ある種「のんき」に暮らしていたとは限らないが、抑圧の構造を無視し(むしろ思い至らずというのが正確か)、融和や友好を信じてやまないということが、非常に象徴的に描き出されている。

『1919』は三・一独立運動の最中、篠崎家の面々とその関係者が、幸子の弾くオルガンに合わせ、高らかに合唱するシーンで幕を閉じる。その、ある意味で過剰ほどの朗らかさは、その後訪れる未来を知っている観客にとっては、これもまた残酷である。

まさに、そこにあるのは、「悪意なき市民たちの罪」(公式HPより)なのである。

さて、3作品の感想(ともつかないもの)を同じ記事で長々と扱ったのには、この3作品において扱われているものについて考えたいからと、ふと思ったため。

いずれの作品も、大して何も起こらない。いや、厳密に言えばそれはもちろんたくさんのことが起こっているのだけれど、いわば明確に物語があり、上演中に起承転結がありということがない。どこからともなく始まり、どこからともなく終わる。劇中、固有名詞がしばしば使用されてはいるものの、『そこに立つ』や『福島を上演する』ではその場所、その人に物事を限定することに対して積極的ではないようすら感じられる。それは舞台美術に具象的なものがあまり使われていなかったことからも伺える。役者はみな、身振りや声を活かしてその場や風景を描き出す。
(『福島を上演する』の当日パンフレットには「風景」について書かれており、今書いていることもそこから着想を得ているものの、本記事で使用する「風景」はあくまで一般的な用語である。)


具象として舞台美術などが作りこまれている『市民』『1919』でも、青年団の演技法によって上演されるその作品は決して俳優に感情移入を求めているわけではない。いずれの作品も「いかに俳優がその場で演じる(というより行動/作動する)か」によって作品を創り上げているような、その様な感覚がある。

そこには強いメッセージ性やテーマがあるわけでもなく、感動すべきストーリーがあるわけでもなく、むしろ細々とした劇作家、演出家、俳優、観客の「気づき」「経験からの想起」によって作品が、創る者/観る者それぞれの中に創り上げられていく。

近年、舞台芸術の分野に限らず、美術や音楽においても、「場所性を活かした作品」が話題となることが多い。それは地域の芸術祭や、劇場から「外に出ていく」といった動向とも無縁ではないと思う。
しかし、今回挙げた作品は、あくまで電車の中ではなく池袋の地下空間であり、福島ではなく東京の公立劇場であり、ソウルではなく駒場の劇場なのである。その、ある種の不可能性(リアルにその場で上演するわけではない/それを行っていない)という所から想像力を展開させていくことの意味と可能性、その先にあるものは何だろうか。とふと考えた。


少し無理やりだろうか。


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