タイフーン

 飽きもせず何時間も子どもの話を続ける主婦たち。ほどほどに手入れされた髪、目立たない程度に押さえたファッション、一見仲良く見えるけど常に相手の旦那の年収と子どもの成績と家の広さを探り合い、どれだけ店が混んでいても個別会計をする。

 誰もが知ってるニュースにいちいちもっともらしい批評を付け加え、自分がどれほど知的でイカした男なのか必死に熱弁を振るうカップルの男。でも女性は自分のことしか話さない。どうしてあれで会話が成立してるのが不思議で仕方ない。

 ドリンクバーだけで何時間も勉強しながら粘る微妙な年齢の男。もう何年も通いつめ、いつもチラチラと控えめにこっちを見る目線は嫌いじゃないけど、今年の資格試験はどうなることやら…。

 パソコンを持ち込んで仕事をしてる4人組のサラリーマン。いつも無言でエクセルの表とにらめっこしている。どの男も同じに見えるが中の一人がものすごく臭い。同僚も気づいてるだろうが指摘しないのはどういうことなのか。

 そういう私は、何時間も立ち続けてふくらはぎがむくみ、ステーキ皿の鉄板で火傷した肘の内側がヒリヒリと傷み、ネイルは半分剥げ、陰気な同僚に遠回しに口説かれるのにうんざりしてる。


 もうずっと夜が続いている。シフトに入る時は既に暗く、店を出る時もまだ暗い。昼間はカーテンを締め切って死んだように眠り、黒い世界に生きる。もう何年こんな生活をしているのか…。

 しかし準備は既にできている。ヘソにピアスを開け、左胸に台風の柄のタトゥを入れ、ついでに彫師の男と寝た。南の島への航空チケットとパスポートは入手済み。所持金は30万円、もう若くはないし何の資格も特技もないけど、絶対になんとかなる。

 日常生活から飛ぶのは簡単だ。ほんの少しの勇気と心の支えがあればいい。私の場合は台風のタトゥだ。海水をたっぷりと吸い上げて勢力を強めながら進み、行く手のなにもかもを吸い上げ、巻き込み、破壊する。すべてを薙ぎ払って真っ平らにし、それでも止まることはない。巻き込まれる方はたまったもんじゃないが、こちらもとっくに満身創痍だから勘弁して欲しい。

 絶対になんとかなる。それは既に決まっている。あとは実行に移すだけ。今日のシフトを最後に店を辞める。古今東西……開拓者と呼ばれる人たちは……みんなに不可能だと言われ……ときに嘲笑を浴び……半ば呆れられながら……………

                              ー了ー




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