スクリーンショット_2019-02-17_14

『解体屋ゲン』 #62 小さな小さな障害(五)

長く続いたシリーズもいよいよ最終回です。ゲンたちは限られた工事期間内に無事ビルの解体を終えることができるのでしょうか。


(リンク先で無料で読めます)


土壇場でゲンが現場に投入したのは

世界最大級の重機アタッチメント


こんなの本当にあるのかよ!と思われるかも知れませんが…

あるんです。画像は閉じてますが多分同じ種類のアタッチメント


でも、結局は納期に間に合わない。それはゲンも分かっていて、それでも出来ることを最後までやらないと気が済まない。それはもう勝ち負けではないんです。まあ内容は読んでいただければ分かるとして…。

負け戦と分かってする勝負は辛いものです。でも、どんな勝負でもやってみないと分からないところがある。私もよく無茶な勝負に出て大抵は負けるのですが、低コストで勝つと大きい勝負にベットするので、ごくまれに大勝することがあります。一つ挙げるなら漫画原作者になったことでしょうか。漫画業界に居た訳でもなく、シナリオの1本も書いたことのないド素人がいくらなんでも無理だろ、と周囲には思われていたし自分でも内心思っていましたが、一か八かで持ち込んでなんとかなった。持ち込みして編集部から声を掛けてもらって、慌ててシナリオ教室に通って原稿用紙の使い方を学んだくらいです。

負けた勝負は数知れず、一つ挙げるとすれば特許関係でしょうか。一時期、弁理士(特許を始めとする知的財産権に関する専門家)の漫画原作を作ろうと考えていました。弁護士ドラマは数多くあれど弁理士のドラマは記憶の限りなかったんです。今はあるのかな?

それで特許の勉強をするうちに、困ったことに自分でもあれこれ思いついてしまいます。というか、ネタを作るのに既存の特許の使用許諾を取るのは大変だし使用料が発生することに気づき、だったら自分で考えた方が早いし楽だという現実的な理由があったのですが、ついついそっちの方が楽しくなって、それじゃ一つ自分でも特許を取ってみるか!と申請まで行ったりして。この時はバッグに取り付けるストラップで左右どちらの肩に掛けてもバランスが均等に取れる、というもので、兵庫県豊岡市のバッグメーカーが興味を持ってくれてこりゃ商品化か!といきり立ったところで肝心のバッグメーカーが倒産、結局弁理士さんにお願いした申請代金の80万が溶けてなくなりました。

それじゃこの経験が無駄になったかというともちろんそんなことはなくて、この時ほど無から何かを作り出すことを考えたことはありませんでした。曖昧なものにロジックを与えて法律に適した文言にまで落とし込む作業は、今の仕事に確実に役に立っています。結局これは作品になりませんでしたが、ここから稼ぎ出した金額は投資額を遥かに上回ると思います。

他にも数々の失敗があるのですが(聞きたいですか?)、人生の勝ち負けは短期的なプロジェクトの成功失敗には左右されません。よく失敗を繰り返してこそ…みたいなことを言う人が居ますが、それもちょっと違うと思います。

成功を積み重ねてゆく人もいるし、失敗したり成功したりする人もいる。その差は運だったり実力だったり様々なファクターがあるので一括りに語れませんが、いずれにしろ、どちらも数々のトライをしてるという点に尽きると思います。それが大きなものであれ小さなものであれ、頭で考えてから実行に移すまでのハードルが高い。そこを踏み出す勇気、というよりはむしろ習慣にするくらいじゃないと、人生は惰性に流されます。これが案外恐ろしくて、昨日と同じ毎日を繰り返すとあっという間に数年が経ち、今更◯◯するには遅い、もう手遅れだ、みたいな思考に陥りがちです。

思うに日本の教育は周囲と同調・同化して協調性を重んじることに主眼を置いてきて(それは今もそうで)、出る杭になることを否定する空気があります。義務教育で9年間もそれを習慣づけられたら、それはもう呪縛と言っていいでしょう。

私はその呪縛から逃れた…つもりになっていましたが、最近出会った人たちの生き方を見て、また別の種類の呪縛、それは「まあ自分はこんなものだろう」という呪縛に掛かっていることに気づきました。それはつまり自分のできる限界、才能の見切りをつけるのが早く、あきらめが良すぎるのです。

もっともっと呼吸をするように考え、努力し、自分の技術として習得してゆかなければならない。何かをモノにしようと思ったら当たり前のことが出来てなかった気がします。

あれ、またしても終始余談でした。これはいずれ軌道修正できるのか?よく分かりませんが、気の向くままに…。<続く>



ここでいただいたサポートは、海外向けの漫画を作る制作費に充てさせていただきます。早くみなさんにご報告できるようにがんばります!