特別に悲しい気持ちの日に、疲れるまで歌った後、ジャズ喫茶で私に似た女の子を眺め、恋人の家へ向かう


いまからきみに会いに行ってうまくしゃべれるだろうか 何をしゃべろう 
言葉が出ないのはわたしのほう

悲痛な叫び(端的であると同時にチープな言葉ね)は録音に乗っていただろうか

ドアをあけて、おどけた会釈をして、注文を済ませるまではせめて無理して笑うのは、説明するのが面倒だから
お店の文脈に沿わないまま飛び込む大胆さも横暴さもないから
やってみるべきだろうか、いつかできるだろうか、この気遣いは無駄だろうか

服の感じが似ているなと思った向かいの彼女、腕時計がわたしと同じだった、やっぱりね、と思う、ジャズ研であるらしい彼女はジャズに興味がある、それと同じ熱量でわたしはわたしたちの腕時計が同じであることに興味がある

何を書かなければならないと思っている??

夏って名残惜しいよね、毎日

私に意見がないのは、人の意見を注意深く聞いて中庸を取るからだ
感想を綺麗な声でぽんと言える彼女を羨ましいと思った
「こんな幸せな音楽聞いたことない」

わたしはこの世の終わりのように歌えるだろうか 希望のように歌えるか 身を引き裂いて歌えるか 自身を救いながら歌えるか 
もう、「美しく」に収まりきらないよ

わたしは、美しくなく歌えるか?

身を投げ打ってこそ生きられる、と言い放てるか
血の海は光っているか
話す言葉が永遠に歌であるか?

夜になると向かいのお店の厨房が見えるのだ
まるで電子レンジだけが光る暗い部屋のように、客席が暗転し、舞台が明転する
、ように見える

舞台の明るさは変わっていないのだ


このお店のドアを開けたとき、あの人がいたら、と想像したのだった、

いたとき、わたしは、笑わずに、立ち尽くすことができるか、
優しく笑って大人しく適切な距離の席に座るのでなしに
この店の音楽を止めてしまうくらい、暴れているわたしの気持ちを表現することができるか あの人を前にして
怒れるだろうか、お前にそんな顔をして微笑む権利はないと、くそくらえ、わたしが苦しいのがわかるか、わかれ、と泣くことができるか?
いつかできるべきだろうか

こんなひどい気分でも、とびきり明るい歌をリクエストされたら、わたしは歌うことができるだろう、きっとその音楽が楽しさを引き連れているから、身を委ねるだけでできるはずなのだ


腕時計が同じだったこと、マスターにだけ秘密で伝えたけれど、閉店まで残っていたあの子にも伝えてくれただろうか、ということが、頼んでもいないのに気に掛かる。

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