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万人の上に位する者、交代

昨日は介護疲労の臨界点間近だったので体力温存のためにお休みしました。
続き書こうかなと思いましたが
「あ、今日から奄美市長交代か」と気がついたので時事ネタで。

先月やたらに読まれたらしき選挙データの回の影響か、いやー11月後半は読まれること増えました。
暗い夜道注意だなと思う程度に。

昨日から今日の動きで「奄美市は新しい軌道に〜」と希望に燃える方もいるでしょうが、前述のデータ見てた私には「うん、まだ昭和から平成初期にかけての古い政治したがってる人は幾らでもいるし、今回『与党推薦者じゃないから』っていう反体制な考えから票入れて次回は反対側に回る層も大体このくらい居るな」という感じしかしませんでした。

ぶっちゃけ奄美群島の外での政治的な思惑が、衆院選・市長選、2つの選挙で島民感情をうまーく誘導した、としか思ってません。
選挙区内に住む私からしたら、ちっせえサル山で権威を維持するために邪魔な勢力を後ろから撃って、全く発言力無い国政議員と「俺たちのおかげで当選したんだから感謝しろ」と言いかねない人達に、欲を抱かせるとんでもない行為ですけど。

私の予想が当たってるなら次の衆院選は「2区はあんな奴(前知事)じゃダメだ、やっぱりシマ出身者じゃないと」的な方向に島の民意を煽動して、うまく「別の御輿」を据えるんだろうなと思いますし
新市長もしっかりしないと、あっという間に「誰のおかげで当選出来たんだ」的なお馴染みの手口で黙らざるを得ない方向に流されるだけです。
ですがそれでは「保徳時代の焼き直し」でしかありません
奄美市民の多くは、そんな手法はもう懲り懲り、もうちょっと奄美市の将来に対して希望を見せて欲しいと願う一心で票を投じた人も多かったと思います。
だからこそ、衆院選よりも2,280人多い投票者数となったのではないでしょうか。

新市長が選挙よりだいぶ前に「市議会議員を退職して、市長選に出ます」と挨拶回りをされてた際も「観光産業を基盤に」と言ってらっしゃいましたが、
私は「こういうコロナ発生時みたいなケースだけじゃなく、豪雨災害の時もだったし、世情で左右される不安定産業だわ、従業員の所得も低い。他の地域との価格競争もある。観光産業を基盤にと言うのはあんまり賛成は出来ない。昭和60年くらいまでの観光は、あくまで紬が売れてた時代だったから増えた。製造業ベースに乗っかった観光産業だったから」って正直に伝えました。
出来れば何らかの別産業も振興されることを願います。

まあ兎にも角にも「安田丸」は本日無事、出港したわけで。
今日からの市長の采配に、奄美市の今後20年、いや、50年がかかっています。
現在の奄美市のインフラや都市計画は、元はというと若かりし頃の大津市長時代からの構想ですし。

2年3年、長くて5年とかではなく、この先数十年に及ぶ長期的な公共経営構想は、60代以上になるとよほど新しいものに対して知的好奇心旺盛な方でなければ社会の猛スピードの変化についていけないので難しい。
まだ40代前半の市長であればこの先の構想に関しても、奄美市以外を広い視野で眺めながら「市長自身が80代90代になった時も、奄美市に住んでて良かったと思える」街づくり・集落づくりを行なって頂きたいところです。
あと多くの人(特に、ずっと島に住んで子供産んで人口増やして税金支払ってと、地道に黙って地域貢献してるシマッチュの20〜40代世代)にいろんな事にチャレンジする機会をつくって欲しいものです。

今日のタイトルはおそらく市長もご存知の名言からですが、私あんまり名言のまるごと引用は好きじゃないんですよね。
世間には、偉人の名言をまるで自分の言葉であるかのように引用するのが大好きな方多いですけど
「知ってる割にその名言通りの立派な行いはしないんですね」って突っ込みたくなる事が多いので…。

というわけで、誰のどんな名言から引っ張ってきたのかは、今この投稿をお読みの端末で各自ググってお調べ下さい。

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