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「祈る」ということを知りたくて

これまでの数年間は、私の中で沢山の、それはもうとてつもなく沢山のアルバムやノート、付箋に書かれた唯一無二の誰かからの言葉に涙して、感傷に浸りながらただそこに座っていて時間の経過に、波打つような秒針の轟きに耳を澄ませながら、1人で部屋の中で黙っていたような期間だったと思う。

歩き始めるには、まだ早いと密かに強く私は思っていた。それは動的な身体性に基づく何かでは全くなくて、そういったものから酷くかけ離れた意識である。

私だけが知っている、私だけの視座や感じ方というのは確かに存在していて、それはデカルトで言う、「我思う、ゆえに我あり」のようなものなのだけれど、美術手帖に書かれた「汝を知る」そして、人間の持つ無自覚への微かな抵抗力だ。

アルバム、ノート、そして付箋類をごみ箱へ投げ入れて私はその全てに封を閉じようと思った。思わざるを得なかった。今年の始まりに「思い出は未来の中に」そう綴った。だからこそ、私は物凄く矛盾しているようである種それは正しい、といった正義感を生きている内にここで息をしている途中でそれを大いに振りかざし、発揮し、自信を持ちたいと強く世界へ懇願していて。それを許容するのはあまりにも小さすぎる自分自身だということを未だ知らない。

一昨日、しばらくここ1年間私の意識を拘束していたものとの別れを経て、それなのに私はあの問いを発さず、次のプロジェクトへの話ばかりを矢継ぎ早に話し誰かを何かを記しを得たくて、でもそんなものは私にとって何ら自己を昇華するでも傷つけるでもなく、無意味なものだった。

あの時の私が知りたかったのは、ただ「祈る」ということだった。

けれど、それは思わぬ場所で知ら占められることになる。

過去の私の将来の夢なんて遠いどこかに忘れてしまって、今を駆ける私の眼中にはただ冷静になれ、という課題だけが山積みで、感情的な対処は極めてふさわしくなく、それはあの場を崩してしまう、壊してしまう。

それでは、初めからいないほうがよかったんだろうか、知らなければよかっただろうか、なんて、そんなのは言い訳でしょう。でも、実際のところそれらに尽きるんじゃないかと冷めた目で、けれどその奥には何も消えることのない青の痛みだけが、私を諭し抉り続ける。

分からないことばかり、不確かなことだけが確かなこの世の中で私は、その分からなさを分かち合って生きていきたいと思っていたけれど、そんな綺麗ごとはある人の前では、いやその人の見据える先の世界には通用しなくて、それに苦心するのがただ辛い。もう、どうでもいいでしょう。と客観視する私もいるけれど、それではどうしても、私はあきらめがつかなくて。そこで、私は強くヒラリークリントンのあの一節を数年ぶりに心の中で無意識に反芻している。

「私は人生をかけて信じるもののために戦いました。成功や挫折、時には途方もない痛手をも被りました。(中略)今回の挫折は痛手ではありますが、正しいと信じるもののために戦うことは充分にその価値があると信じることをやめないでください。(中略)私たちはいまだに、もっとも高くて固いガラスの天井を打ち破ることが出来てはいませんが、いつかきっと、誰かが実現してくれることでしょう。その時期が、私たちが考えるよりも早く訪れてくれることを願います。」

フラッシュバックするように、誰かのあのメッセージにあのとき、あの瞬間に私は意識が懐古してそれをただ真に受けている。そんな真夜中を私はこの瞬間に、過ごしている。

きっと今、向きあっていることは不正ではないけれど、私が感覚的に拒絶する大きな因子の1つであることだけが確かで。それは論理的かつ冷静な対処が必要な課題であって。その人のことは正直言ってしまえば分からない赤の他人で、ただ言葉で何かを伝えるのがきっと慣れていないんだろうけれど、そして話題も次々と瞬間的に変動し行くものでついていくのに必死で、けれど自分の正義をも同時にその言葉に混じり交錯しぶつかり合うから、その切り分け方に戸惑って、決着がついていない。私はまだ自分の限界値に達したことはなく、こと本件に至ってはまだまだ自分自身が正しいと思う、その確固たる確かな希望に対して生きる言葉を扱えていないことが大きな問題であって、それを出来る限り早く見つけ出し、伝えるでも伝わるでもなく、私はそれを表現したい。守りたいものなんだ、ここ数年でも私が大切にしてきた、そして沢山の分岐点を生んだ、あの場は私のユートピアであり、ディストピアなんだと、過剰なまでに私は酔いしれていると自覚している。なんで私たちの代なのか、そんなことは思わない、むしろ私たちの代であることがこの団体の運命であったのだとそう思うまでに非常に面白いシナリオだ。きっと、まだ死んで生まれ変わったとしても、もしくはこの道をもう一度踏みしめる日が来たとしても同じような文脈に位置づけられる形でこの運命に従順したい。リアリストになり切らない17歳の私は、今大きな局面に立たされている。そこで思う。

祈りから鼓動が聞こえてくると。

ある人がいった、「カレッジは生きている。」はっとした、確かにそうだろうあの場は呼吸している、いつの間にか加担してしまうこの現実世界から少し距離を取るために、私が尚も「わたし」であり続けるために、決して誰かに明確に語られることなく、とても密やかに日常を繰り広げられる、それを確実に描写し言葉を紡ぎ、真っ白のキャンバスで熱意を振り回しそれに、「向日葵」を描くでもないけれど1人1人がそれらから抗った結果なのだという結果だけを知る、そんな場で、それはたしかに死んでいないことを突き付けられる。そして、それらは、生きるという極めてイニシアティブな動脈をうねらせながらも、同時に無自覚にも生かされているということを水槽に泳ぐ私は知っていた。

にこやかに笑みを作りながらも野心を纏い、辛辣なことをいいながらハムスターのように忙しなく働いているあの人に私は今日も遠い場で過ぎ去る過去から救われている。

「じゃあ、やめれば?」
なんて簡単に言えることじゃないでしょう。偉大だと思う。及ばない、このような逆境でやっと祈ることの本質性が自分なりに解釈され解かれてきたこの瞬間からは、まだほど遠い。10年後の私は10年前の私にそう言い放つだけの力や勢いやある種の殺人を犯すことが出来るだろうか。

魔導師のようなあの人に私はいつか向日葵の花束を手渡したい。16歳から想い続けてきた密かな胸の内とそんな葛藤を抱えながら生き抜いてしまった非日常/不条理の際を歩きながら必死で守り続けた私のストーリーを存分に書き連ねた手紙を添えて。


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