コトノハ シャシン S#25 【天命】

2018年も12分の1が終わり、節分も過ぎて旧暦でもお正月を迎えようとしています。

中華街の近くで仕事をしたり、凄くお世話になった方が台湾在住でその様子をSNSで見たりしていると、中華圏の文化に触れると同時に旧正月にも少し親近感が湧きます。

このブログ的なモノも書き始めてから1年が経ち、今回から2周目に突入です。ある意味、新たなスタートと言えるでしょう。

普段の暮らしにおいて新たな事と言えば、お財布を新しくしました。パートナーからのクリスマスプレゼントで、ワイナリーのオーナー まちこさんにその話をしたら「お財布は立春を迎えてから変えた方が良いよ!」と言われたので、実践してみただけなんですが。

彼女は中華街にちょくちょくお世話になってる占い師さんがいるらしく、基本は良い事だけ信じるスタンスではあるものの占い自体は結構好きみたいです。
横濱ワイナリーをオープンさせ、先日パシフィコ横浜で開催された『かながわビジネスオーディション』ではトップとなる県知事賞を獲得。その功績はもちろん、これだけの人から協力を得られるのは人柄の素晴しさや日々の努力に加え、何かしらのエネルギーや運気みたいなものが働いてるんだろうな、と日頃から思っています。

改めまして、おめでとうございます!!

じゃあ、ボクはと言うと占いの類いはまったく信じない方です。たまに話のネタにするのに神社でおみくじ引くくらいで、あれも値段が高かったらやらないでしょうね。
信じないというより、気にしてないという感覚に近いかも。

そもそも、そういう考えに至ったのはまだ小学生の頃にSMAPさんの『Let it Be』という曲を聴いて「占いなんて 怠け者の運命」というフレーズが衝撃的だったから。
朝のニュース番組を観てると星座占いの順位が局によってバラバラなことに不信感を抱いていたあひる少年は(今なら占い師さんによる見解の違い、みたいな一言で多少は納得出来ますが)、これを機に「あんないい加減なものを気にするヤツはナマケモノなんだ!サボってるから曖昧なものに頼るんだ!」と一発で刷り込まれたわけです(笑)。
何にせよ、SMAPは偉大なり。

加えて2000年代前半にはいわゆるスピリチュアルブームというか、そういう目には見えないようなものを取り扱う番組が結構あったこともあって、オーラだなんだと言われると「占いの類い=怠け者の運命」という単純極まりない思考回路で捉えていたことも今の自分を形成する要素の一端だったんじゃないかと思ったりしてます。

今となっては三輪さんや細木さんが言っていたような「人として大事なこと」みたいなものには凄く共感を覚えます。

ただ、そういうスピリチュアルな何かが好きな人、信仰がある人だってたくさんいるし、それなりに出会ってきた中でステキな人も少なくありませんでした。そういったものをきちんと「数多ある価値観のひとつ」として捉え、決して他者に押し付けず、あくまでも1人の人間として相手と向き合える人ばかりなら、偏見や軋轢は生まれにくいでしょう。

ボクは20代の前半でまぁまぁなお金と時間を費やして身を持って経験してきたから感じるのかも知れませんが、詰まるところ自己啓発セミナーや生涯学習、コーチング、あらゆる宗教も言ってることの根本は同じだと思うのです。
いわゆる「この世の真理」みたいなものが中心にあって、それを各々の目的に沿ったアプローチで広めているだけだろう、と。
ボクはビジネスが軸になる形で学んだので、そっち寄りの考え方なのは否めませんが、スピリチュアルな視点でアプローチされても言いたいことはだいたいわかるというか「そりゃそうだよね」となるわけです。

とはいえ、この手の話になると厄介なのは何かしらの勧誘が絡んでいて、それを望んでいない相手からすれば単なる押しつけが始まるところ。
もちろん占いや宗教的なもの、それに携わる人を真っ向から否定する気はない。それでメシを食ってる人、それが支えになる人だっているわけだから、求められる場があるなら在るべきだと思う。

ただ、それと同時に俺みたいにまったく必要としてないヤツだって結構いるよ、ってだけの話。
特に俺なんかは根が理屈っぽい(たまに意外って言われる)から、科学的根拠や数字や実例なんかに基づいて考えることも多いし、最終的には結構理詰め。
じゃあ、目に見えないものはまったく信じないのかと言うとそうでもなくて『気』の存在には至るところで助けられてる自覚はあるんだよね。

生気溢れる食材から作られた料理を元気良く振る舞って、そこに集まる人たちが場を活気づけてくれて、その積み重ねが日々を生きる鋭気を養ってくれる、みたいな。サッと書き連ねただけでも俺の日常は気でいっぱい。

そして、思いは覇気がないとやっぱり届かない。
それを霊的な何かに例える人もいるけど、俺はあくまでも人間の持つ力の一部だと思う。

それに結局はどんなことを言おうと、どう伝わるかなんて相手からどういう人間だと思われてるかで決まる気がする。
ピンポーンって来た宗教の勧誘の人が幸薄そうだったり、セールスマンのスーツが汚かったりしたら信用できなじゃん?
逆に言うと信用できる人の話なら耳を傾けようとするし、参考にしたり行動に移すまでのハードルがグッと下がるんじゃないかな。

だから、財布の件に話を戻すと、お世話になっていて、リスペクトしている人から「これ良いよ」って言われて腑に落ちれば、まずはやってみよう!って頭に切り替わる感じ。

お札の向きを揃えるとか、休みの日には短時間でも良いから外に出るとか、まぁジンクスみたいなものなんだけど、それを自分に教えてくれた人の顔はパッと浮かぶし、大事なことだなって普段から思って生活している。

そういう習慣や『気』に関する考え方についてブレない芯を持つきっかけになったのも、やっぱり尊敬してやまない兄貴分との対話だった。
あるとき俺が「神様信じます?」って何となく聞いたら

「いるのかも知れないけど、俺には見えないし、まぁピンとは来ないけど。でもさ、自分が予想してたよりも凄い成果が出たり、思いがけない運が味方してくれることってあるじゃん?俺はそういうときはご先祖様が力を貸してくれたって思うようにしてる。そう考えれば生まれたこと、こうして生きてることにも感謝できるしね。だから俺は『人事を尽くして天命を待つ』って言葉が好きなんだ。単にやるだけやったら後は運任せってことじゃなくて、自分でやれることを徹底的にやりきったときだけご先祖様が協力してくれるんじゃないか、ってね。」

って、さらっと返されたときには目から鱗だったよ。それ以来、俺もまるっきり同じよう考えるようになったんだ。

俺にとっての天=神様みたいなものはご先祖様、つまりこの血筋で、そこから授かった命を信じることが自分を奮い立たせてくれる原動力にになってる。
だから、天命は俺の好きな言葉のひとつ。
相変わらず神様そのものは信じてないけどね。強いて言えば、思い浮かべるのはナメック星人とマイケル・ジョーダンくらい(笑)。

これは俺の物指しっていうか、造語でしかないんだけど、やらされてるのが義務感、やらなくちゃが責任感、やって当然が使命感、死ぬまでやめないのが『天命感』って勝手に言ってる。
で、俺の場合はそれが食に関することだった。きっと今回の人生を費やす価値のある何かに出会えれば、人は豊かに生きていけると思うんだ。文字通りライフワークだよね。
俺がこうして続けていることのうち、何かひとつでも誰かが天命を感じるきっかけになれば、ご先祖様も喜んでくれる気がする。

あなたの天命は何ですか?

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