ネガティブな言葉のゆくえ
月に一度、来月の自分への手紙を書いている。
毎月40分ほど、レターセットとノート、ペン、そしてその時飲みたい飲み物を準備して、1ヶ月後の自分へ宛てて手紙を書いている。
昨日はその日だった。
書き終えたら毎回何かしらの気づきがあって、Facebookでその気づきをかいていたのだけど、今日は何となくnoteに書きたくなって、こうやって振り返っている。
さて、私には割と長い時間悩みというか、どうしたらいいのか?と思っていたことがあった。
それは、
『自分の中にあるネガティブな感情、想いを自分の外に出すことに抵抗がある』
ということ。
もし出すなら、十分消化して昇華して客観的に見られるようになったと感じた時。
もしくは笑いに変えられると感じた時。
それがいつの間にか、自分の中で感じることにさえ蓋をするようになっていた。
当初、自分の外というのは、「自分以外の人が目にしたり、耳にする場所」という意味だったのに、いつの間にか「その感情をはっきりくっきり言語化して自分で眺める」ことさえ自分の外と思い込み、外に出すことに抵抗を持つようになっていた。
例えば誰も見ない紙に書くとか、そういう場所に出すのさえ抵抗があった。
心でネガティブなことを想った瞬間に「いやいやそれはちょっと…」と、心の中で打ち消したり言い換えてたりしていた。
それは、私が言霊というものには力があると感じていることが理由の一つ。
悪いことを引き寄せてしまうかも、という恐れがあった。
そしてもう一つ。
とても苦い思い出が、昨日の手紙を書いている時に蘇ってきた。
今から20年程前のこと。
当時私は、有志で映画上映を企画しているグループに参加していた。
そこでは月に1回ミーティングを開いていた。
映画上映は「女性のための」と銘打っていたこともあり、メンバーは全員女性。
さらに私はその中で一番年下で、大半は私の親より少し下くらいの方だった。
次に上映する映画は何にしようかと話していた時のことだったと思う。
もうどういう流れだったか覚えていないのだが、突如私は「こんなレベルの低い〇〇グループとは違って」という言葉を口に出していた。
〇〇に何を言ったか覚えていないけれど、とにかく自分たちのことをそうやって言ってしまったのだ。
しまった!と思った。
謝ったかどうか覚えていないのだけど、話はその後も普通に続いていったことだけ覚えている。
別のことで何かにイラついていたのか、はたまたその時の状況にもどかしさを感じていたのか。
なぜそんな言葉を放ってしまったのか、全く思い出せない。
レベルが低いなんて思っていなかったのに、表現の仕方を間違えたし、もしそう表現することで自分の整理しきれていない想いをその言葉に乗せたのなら、全くの考えなしだ。幼すぎる。
メンバーみんなのことが好きで、その活動も好きだった(仕事終わりにわざわざ集まってミーティングをして、自分たちで上映会をしていたのだ)のに、私は刃を放ったのだ。
突然。
ずっとずっと心に残っていて、あれから20年経った今でもふと思い出すことがあって、そういう時「あー!」と声に出してしまう。
申し訳なさと自分の情けなさと恥ずかしさと。
きっと私はあの時も、そして今に至るまできちんと謝っていない。
「ごめんなさい」と言った自分を思い出せない。
もし謝ったのだとしても、思い出せないのはどういうことか。それは自分の中では終わっていない出来事だ。
それなのに、その後もミーティングは拗れることなく進み、上映会も何回も開催された。
一体私はどういう顔をして参加し続けていたのだろう。
そして、メンバーの何人かの方とは今でも年賀状のやり取りをしている。
この件からしばらくして私は転勤のためその地を離れ、10年経って近くに戻ってきたが、今でも会うととてもよくして下さる。
その優しさに申し訳ない気持ちになることがある。
あんなに酷いことを言ったのに。
ずっとずっとこのことを、自分の外に出していなかった。
誰かに話したこともなければ、何かに書いたこともなかった。
そして私の中では
『外にネガティブな言葉を放つこと』に対して、とてもとても気をつけるようになった。
あの時、刃が見えた気がしてとても怖かったのだ。
本当に思っていようが思っていまいが、こういった言葉を外に出してしまうと取り返しのつかないことになる。ということ。
それだけを深く深く心に刻んだ。
人に言えない出来事として。
そして、そもそもネガティブなことを思ってはいけないんだ。
思ったとしても、言葉に変換してはいけないんだ。
というルールが自分の中で出来上がっていたのだと思う。
自分の中でネガティブな感情が出てきたとき、それをはっきりくっきり言葉にしてしまうことが怖かったのだと思う。
はっきりしてしまうと、外に出てしまう可能性があるから。モヤモヤしたままだったら、とりあえずわかる形で外には出ないから。
(それでもここ何年かで受けとめるようにはなってきていたけれど)
そんな昔のことを、今日の「LetterMe」の時間で思い出した。
言葉は人を勇気づけ、励まし、救うこともあるけれど、傷つけることもある。
その「傷つけること」を、傷つけたままにしておくのは良くない。
外に出して、自分の手で昇華させないとな、と思った6月7日の朝のこと。
ネガティブな感情を持った自分は自分として「そう思ったんだな」と受けとめる。
その上で、伝えなければいけないことだったら表現の仕方を考える。
伝えないくていいことは伝えない。
伝えなくていいが、外に出さないと消化しきれないのであれば、素直な気持ちで話す人を選んで話す。その時気持ちの矢印は外に向かうのではなく、「こう感じた自分」に向けておく。
今私が考えられることはこのくらいだ。
もう不用意に人を傷つけることはしたくない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?