なぜ会社を辞めるのか

後ろ髪を引かれている。
インテリアコーディネーターの仕事をしていると、毎週土日はお客さんとの打合せがやってくる。今日も、素敵なご夫婦との打合せだったのだけど、ふと「この家の完成に私は立ち会えない」という思いが頭をよぎり、どうしようもなく切ない気持ちになる。

2月に死ぬほど頑張って打合せしたお客さんの家だって、その姿を目にすることはないのだ。あんなにボロボロになりながらやり遂げたのに。
辞めると決めたのは自分なのだから、仕方のないことだとは理解している。だけど悔しい。やるせない。悲しい。

「もしかしたら、続けた方が良いのだろうか」

「そのうちまた笑って仕事出来るようになるのだろうか」

そんな風に、自分の決断を翻しそうになる瞬間がある。私の選択は間違っていやしないだろうか。この先にとんでもない後悔が待っているんじゃなかろうか、って。

だから、「なぜ会社を辞めるのか」ということについて、ちゃんと明文化したいと思った。少し未来の自分が、忘れてしまわないように。

スピードと物量に圧倒されるようになってしまった。

端的にいえば、これに尽きる。(のだと思う)

私はひとつひとつの物事を、深く考える癖がある。いろんな角度から見てみたり、推測してみたり。そうすることで自分の中に筋道が見えてきて、ようやく推し進められるようになる。「深く考えたぞ」という自負があるからこそ、真っ直ぐお客さんに薦めることが出来るし、そのことが伝わるのか喜んでもらえることも多い。

それが、納期が圧倒的に短かったり、抱える案件数が膨らんだりすると、いちいち深く考えていては仕事がまわらなくなる。適度に手を抜くだけの技量があれば良いのだけれど、そもそも深く考えることが出来ないと「道」が見えなくなってしまうのだ。
自分にも見えないものを他人に伝え、共感してもらうことは困難だ。だって見えないんだもの。伝えたい「もの」がわからないんだもの。

たまたま一時的に負荷が掛かったからなのかもしれない。また上手く回るようになるのかもしれない。
だけど、この先もきっと大きな負荷が掛かる時は来る。恐らくその時を私は受け容れることが出来ないと感じた。

目の前の仕事をとにかく「こなす」しかない状況は、じわじわと心を削ってゆく。なんの為にそれをやるのかという意義を見失ってゆく。「こなす」ための考えや行動が、生きている時間の中心に居座り始める。私はそれがつらくて堪らないのだと思う。

弱いやつだと言われるかもしれない。我慢の足りない甘ちゃんだと思われるかもしれない。
だけど、私にはもっと物事を考えるための時間が必要だし、そのゆとりがある生き方がしたいのです。何かに追われるように生きるのは、私にはしんどい。

だから私は会社を辞める。
先のことは見えないし、不安だけれども、きっと間違いではないはず。
間違いではなかったと思える生き方を出来るように、私は会社を辞めるのです。

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