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noteに出会えて良かった

noteを始めて一ヶ月が経ちました。
連続投稿を始めると、切らすのが勿体無くて、継続が苦手な私がもう30日続いている。
どうせすぐに続かなくなる、と思っていたので、自分に驚いている。
noteを始めたきっかけと、今の気持ちを話そうと思う。

呼吸が自分でコントロールできなくなったこと、あります?
不思議なもので、それまで普通にしていた呼吸の仕方が、急に分からなくなるのです。
苦しくて、苦しくて、涙が出てくる。
楽になりたくて、無我夢中で手元の鋭利物で腕に傷をつけるー
こうやって冷静に状況を書き出すと、我ながらやべえ奴だと思います。
でもその瞬間の鈍い痛みや滲む血は、私を現実に引き戻してくれるトリガーとして、呼吸の仕方を思い出させてくれるーそんなことが今までに何回かありました。

自分がいつもなんにも出来ない人間で、情けなくて、滑稽で、我儘に思えて、嫌いでした。
そんな自分と訣別したい、と思っていました。
その一方で、そんな自分をもっと受け入れた方が良い、とも思うのです。

とどのつまり、悩みのスパイラルの元凶は、「自己肯定感の低さ」でした。

twitter、InstagramなどSNSは使っていますが、身綺麗に整えた自分自身でしか発信ができない環境を自分で作ってしまい、結果自分の首を絞めることになっておりました。
評価されることが怖い。
そこには長い間作り上げてきた「私」がいる。
何かを発信する際の基準は、「周りから見ておかしくないか」。
思っていること、考えていることは内側でどんどん膨らんでいく。
徐々にアウトプットとのズレが大きくなっていく。

私は気づきました。
「嘘を吐くこと」が無意識のうちに日常化してしまっていることに。
自分が本当に「好きだ」「嫌いだ」と感じる前に、「どう思うのが正解なのか」と、まるで道徳の授業のように、公共のこたえで蓋をする。人当たりの良い回答は、生きやすい。周りから大きく嫌われることもなく、争うこともなく、ラクに生きることができるー良い人だと言われる。それは誰からも一番愛されないし、一番嫌われないし、「どうでも」良い人

私は気づきました。
いつから私は自分の「好き」と「嫌い」に自信が持てなくなったのだろうーと。
20代後半にもなって、ようやく自分の薄っぺらさ、空っぽさに気がついてしまった。


ここでタイトルに戻ります。
「noteに出会えて良かった。」



どう思われるかじゃなくて、私がどう思ったか、をちゃんと言葉にしようと思ったのです。
ここでは、誰も私を知らない。私が世界と繋がる窓口は、私が書いた文章。

最初は万年筆デビューの話をしました。本当はずっと手に入れたかったものでした。
今まで居もしない周りの目を気にして、買うことを憚っていたものを、noteをきっかけに買いました。それを記事にしよう、と思いました。
誰からも反応は無いと思っていたし、無くていいと思っていました。なにせアカウントを作ったばかりの無名の書き手です。大きな海に一滴の水を零したものです。
しかし投稿して間も無く、「スキのおしらせ」が届きました。驚きました。
それはたった1つのスキかもしれない。でもそれは、まごうことなく、私の文章を読んでくれてのスキ、でした。嬉しかったです。嬉しい、と思える自分に気付けたことにはっとしました。

「ああ、私は認めて欲しかったんだな」

嘘を吐いていない私を、「それでも良い」と認めて欲しかったんだ、と。
対外的なもの、仕事上のもの、イメージ、付き合い…それが日常化して、自分を発信することを忘れていた。鈍った刃は研がねばならない。
私は絶賛訓練中なのです。
自分の意思表示ができるようになるための、リハビリ中なのです。


だから、「noteに出会えてよかった」
私はクリエイターなんて大層なものじゃないから、noteの趣旨に反した存在じゃないか、と不安になりつつも、時々届く「スキ」に力をもらい、もう少し、想いを紡いでみようと思うのです。

読んでくださる方々への心からの感謝と、
運営される方々、素敵な記事を書いてくださる方々への大きな尊敬を込めて。

2019.10.31  紡



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