映画「ハウス・オブ・グッチ」感想

 映画館で見ようと思っていたら、一瞬で上映が終わってしまったため、円盤を購入していました。んで、今日ようやく時間をつくって見たんです、ハウス・オブ・グッチ。いやー、すごいよ、これ。リドリー・スコットがグッチをテーマに映画を撮ると聞いて、ファッション業界を舞台にしたゴッドファーザーみたいなものを想像してたんですよ、アル・パチーノも出てるし。レディ・ガガが真ン中で腕を組んで、「それは、人を狂わすほどの名声」ってコピーがついたポスターがあったじゃないですか。あれを見て、映画偏差値70オーバーの内容をワクワクと思い描いていたら、出てきたのはなんと30以下のシロモノでした。

 脚本ダメ、構成ダメ、撮影ダメ、演出ダメ、演技ダメ、選曲ダメ、編集ダメ、全体的に安っぽいテレビドラマみたいなクオリティで、そもそも映画芸術の域に達していません。アダム・ドライバー、ジャレット・レト、ジェレミー・アイアンズと錚々たるメンツをならべておきながら、カメラテストの1発目をリテイクなしで採用したような場面ばかりで、バストアップを交互に切り返すだけの会話シーンが多用され、題材から逆算して画面に漂わねばならない緊張感は常にとぼしく、なぜ挿入されたかわからない意味不明のカットも散見されます。1つ1つの場面がダラダラと続くくせに、カット尻の切り方はどれも唐突で気持ち悪く、2時間30分ほどの全長のうち、1時間は編集で詰められるでしょう(4時間かけた特殊メイクがもったいないと思ってんのか、ジャレット・レトを出しすぎ)。

 もちろん良かった点も無くはなく、アダム・ドライバーが次々とハイブランドに身を包んで出てくるのは眼福でしたし、グッチのはじまりが皮革産業を生業とした共同体であることを知れたのは興味深かったですし、レディ・ガガの演じる「下賤の女」は彼女の出自と地金が垣間見えてゾクゾクしました(まあ、演技はアレですが……)。でもね、ひどいまとめ方をしますと、晩年を迎えた巨匠が自分より若い妻にそそのかされた結果、もう何人も口出しできないゆえに客観性が1ミリも入りこむ余地のない、恍惚とした老人の主観世界を体現するような作品に仕上がってしまったのではないでしょうか。なんか最近、似たような印象を持った作品があったなー、なんだったかなーと考えていたら、ククルス・ドアンの島だった。

 あと、検索してもハウス・オブ・グッチに関する感想があまり出てこないのは、最近の「賞賛か無視」しかないインターネット社会を如実に反映しており、みんな微妙だと感じているのだろうなと、ご推察し申し上げます。本作へ言及する数少ない記事に、「アダム・ドライバーがハウス・オブ・グッチの打ち上げに参加しなかった」というものがあり、「役へ入り込み過ぎるきらいのある彼が、ブランドのために家族を捨てる夫の役から、一刻も早く離れたかったのかもしれない」とか書かれているのを見つけました。いやいや、本作でのアダム・ドライバーは頬骨ごと口角を上げるひきつった笑顔の芝居しかしてなかったじゃないですか。マウリツィオ・グッチがいったいどういう内面を持った人物なのかサッパリわからなかったし、何の演技プランも監督の指導も感じなかったですよ。リドリー・スコットの名前にだまくらかされて、よくよく内容を精査せず、本人に確認しないまま事務所主導で出演を決めてしまったものの、渡された脚本に首をかしげながら撮影を進めるうち、駄作疑惑が確信へと変わり、レディ・ガガと事務机でする獣のようなファックが決定打となって、もう二度と思い出したくない現場になったからじゃないですかね、知らんけど。

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