雑文「枯痔馬酷男(2)」(2008年)

 「(蹴りあけられた扉が蝶番ごと吹き飛ぶ)広報部は何やってやがんだァ! (手にした雑誌を床に叩きつける)『銃と軍艦+尻と胸の谷間+小児的誇大妄想+三文芝居=MGS(まったりゴックン!銭湯闖入、の略)』だと……こういうのを事前に検閲するために開発費を削って大枚はたいてんだろが! このレビュアーの代わりに生まれてきたことを後悔させてやるぜ! 担当者ァ、一歩前に出ろ!」
 「(整然と並んだモニターの前で脅えきったスタッフの中から、ベースボールキャップのせむし男が足を引き引き前へ出る)へへ、ゲームの外でも軍隊式ですかい。枯痔馬監督のご威光に照らされちゃ、誰も逆らえやしませんや。ここはひとつ、監督の(強調して)男らしい度量と器の大きさを、スタッフたちに見せてやっちゃあくれませんか」
 「(厳しい表情が小鼻の膨らみからわずかに崩れる)おお、周陽! わが友、わが理解者、そして枯痔馬を継ぐ者! 聞かせてくれ、音曲にも似たおまえのシナリオを! おまえに比べればこの世の言葉はすべてささくれだち、ボクの繊細な心にはあまりにつらすぎる……(しなを作りながら両手で自身を抱きしめる)」
 「(右半分と左半分で奇妙に印象の違う顔の造作を歪めて)監督に乞われて断れる人間は、ここには一人もおりませんや」
 「(哀願の表情で)おお、言わないでくれ! 才能という名前の地獄が形成する王者の孤独を何よりも理解するおまえだというのに、そんな皮肉を言わないでくれ! 周陽、ボクは友としておまえと話をしているのだよ」
 「(曲がった口元が痙攣する)ならば、お聞かせしやしょう! スネエクが彼の運営する銭湯掲示板を十年来荒らし続けたその仇敵と現実に遭遇する場面でございやす」
 「(目を潤ませて)近所の銭湯で会釈だけを交わす常連が、愛好家としての心のつながりを信じていた相手が荒らし本人だったという、あの名場面のことだね」
 「そう、こんな切ねえ場面を仮構できる監督の才気に、拙が打たれたあの場面でごぜえやす」
 「同時に、おまえが文章による虚構力をまざまざとボクに見せつけ、枯痔馬の名を受け継ぐにふさわしいことを証明したあの場面だよ」
 「(ベースボールキャップのつばに手をかける)まったく恐れおおいことでして」
 「(フリルのついた両袖を広げて)周陽、おまえが恐れる必要があるのは、おまえを破滅させるかもしれないその才能だけだよ! さあ、聞かせてくれ。砂漠で水に飢えた人間のように、ボクはおまえのシナリオに飢えているのだから!」
 「では……(咳払いとともにロンパリとなる黒目)“スネエクの眼球には浴槽の外(アウトサイド、のルビ)で腰掛ける中年男が写された。スネエクの内(インサイド、のルビ)では、光と陰で構成された中年男の倒立像が網膜の光受容体を刺激・活性化し、視神経という名付けの電脳回路を通過する。その過程で分解された画素(ピクセル、のルビ)は外側膝状体(ニューロン集団、のルビ)を経由して、脳の後方に位置する一次視覚皮質に転送された。同時に、同じ情報が脳幹の上丘を経由して頭頂葉を中心とする皮質野にも転送されている。一次視覚皮質には網膜の感覚(SENSE、のルビ)と点対応を成す視覚地図が広がっていた。右眼球から転送された画素は左側視覚皮質に、左眼球から転送された画素は右側視覚皮質に紐付けられ、ナノ秒をさらに分解する単位でマッピングされてゆく。その情報は分類の後に編集され、中年男の輪郭という視像を明確に捉えるための縁(エッジ、のルビ)が強調される一方で、背景に広がるペンキ絵や番頭が腰紐に挟んだ扇子(SENSE、のルビ)については曖昧化が行われた。編集を終えた情報は劣化せずに、色彩や奥行きなど視覚風景のさまざまな属性に特化した三十ほどの視覚野へと中継される。眼前の中年男が持つ語義的な属性と情動的な属性の検索(サーチ、のルビ)作業と同じくして、側頭葉の高次領域は対象への意味論を展開する。活性化した視覚野たちはやがて不可解のデカルト的統合を果たし、現実空間の中にひとつの像(ヴィジョン、のルビ)を形成した。スネエクに呪詛の言葉を迸らせたのは、その認識だった。『わあ、あなたがあらしだったなんて、すごいびっくりした。もう、おどかさないでよ』”……(黒目の位置が元に戻る)以上でごぜえやす」
 「(レースのハンカチに顔を埋めて)この現実の手触り感ったら……リアルだよ、たまらなくリアルだ」
 「(ベースボールキャップのつばに手をかける)監督は光で、拙は陰でございやす。光が強ければ強いほど、その陰は濃くなるって寸法で」
 「(小鼻を膨らませて)ふふふ、陰影があるからこそ事象は立体的な奥行きを得るのさ。おまえを得た今、MGS新作の成功は約束されたようなもの。宿敵・ホーリー遊児も何を血迷ったのかG.W(ゲームウォッチの略)の世界へ後退し、もはや物の数ではない。しかし、ひとつだけ大きな不安材料が残されている」
 「枯痔馬監督の有する巨大な才能に不安を抱かせるとは……それはいったい、なんでございやす?」
 「(弱々しい微笑を浮かべて)トリプルミリオンを意識するときに避けて通れない一般大衆の愚劣さが好むもの――つまり恋愛感情だよ。しかも、三次元の女性との色恋沙汰だ。おおッ(しなを作りながら両手で自身を抱きしめる)、なんとおぞましい……!!!」
 「(唇の端を歪める)心配いりやせん。その案件についてはすでにシナリオへ織り込み済み、解決済みでさ」
 「(目を潤ませて)周陽、おまえはなんて頼りになるんだろう! これでボクは銃火器と軍艦の描写にだけ専念できるというもの……ただ、ボクの芸術作品に現実の女の臭いがするというのは耐え難いことだ。おまえを疑うわけじゃないが、その点はちゃんとクリアできているんだろうな」
 「キキキ、ぬかりはございやせん。主人公と恋人は遠距離恋愛中という設定でございやす。パソコンとインターネットを使って愛をはぐくんでおりやす」
 「(目を細めて)ほう、膣が陰茎から遠いというだけですでに好ましいな」
 「互いを隔てるのは距離だけではございやせん。東京とサンパウロ、長大な時差がございやす。朝の出勤前に互いのビデオメールを確認しあうという間柄でして」
 「女に貴重な趣味の時間を占有されないというわけか! ますますいいじゃないか! しかし、同じ地球上にいるには違いない。黄砂よろしく、大気を伝って女の臭気や分子がボクのところへやってくるんじゃないのか。アニメ風情とは格が違うんだ。発売日も迫ってきている。女を宇宙に打ち上げるロケハンを行うほどの予算は残っていないぞ」
 「キキキ、仕上げをごろうじろ。ある日、女は出勤途中に橋の欄干から足をすべらせて死にやす。彼女の両親から受けた知らせに呆然となる主人公は、自室のパソコンにビデオメールが届いているのを確認するのでごぜえやす。震える手でマウスをクリックし、そして泣きやす。すでにこの世にはいない女が二次元で優しく微笑むのを見て、モニターを抱き抱えてオイオイ泣くのでごぜえやす」
 「(うっとりとした表情で)完璧だ……三次元の女へ愛情を向けるのにこれ以上の譲歩は考えられないくらい、完璧な譲歩だ。おまえは本当に揺れる男心の機微をわかっているな。“死んだ処女だけが美しい女”とはよく言ったものだ」
 「含蓄の深い言葉でごぜえやす。いったい、どこの国の大文豪から引用なさったんで」
 「(親指で自身を指しながら、マッチョな表情で)このボクからさ!」
 「道理で。(ベースボールキャップのつばに手をかける)大文豪というくだりだけは、間違っちゃおりませんでしたか」
 「(破裂せんばかりに小鼻を膨らませて)なんて機知に富んだ男だ! おまえの応答には退屈させられるということがない。それに引きかえ……」
 「(大声で叫びながら部屋に駆け込んでくる)てえへんだ、てえへんだ!」
 「(不快げに眉をひそめて)何事だ、賢和。この世界の枯痔馬のセクシータイムを直接わずらわせなければならないほどの重大事だというんだろうな」
 「(両腕を不規則にばたばたと動かしながら)バグでヤンス! ゲームの進行に深刻な影響を及ぼす規模のバグが、同時に三つも出たんでヤンスよ!」
 「(手のひらに拳を打ちつける)クソッ、この時期にか! プログラム陣は全員、生まれてきたことを後悔させてやる! 詳細を報告しろ!」
 「BB(主人公の無賃入浴を阻止するために雇われた四姉妹、ボイン番頭の略。度重なる無賃入浴は、やがて町の銭湯の廃業へとつながってゆく)たちのリーダー、鎌田キリ子の乳揺れが異様でヤンス! まるで重力を無視して、上下左右に揺れまくるでヤンスよ!」
 「(賢和の頬に拳をめりこませる)ボクは断じてインポテンツじゃないッ!」
 「(両手足を大の字に広げて壁に叩きつけられる)ぐはぁッ!」
 「騎乗位の視点から眺めた乳の動きを並列化したコアの演算機能で数値解析し、三次元的にシミュレーションを行ったんだよ! 乳首にモーションキャプチャーのマーカーを貼り付けるなんておぞましいことをボクにさせる気なの! 本物が見たいならソープに行けよ! ボクはボクの頭にある美しい光景だけが見たいんだよ! 汚い現実は見たくないんだよ!」
 「(口の端から血をぬぐいながら)は、早とちりでヤンした。でも、次のは間違いないでヤンス」
 「(ウェットティッシュで執拗に拳をぬぐいながら)言ってみろ」
 「(満面の笑みで)もう死ぬと言って倒れた登場人物が40分以上しゃべり続けていて、一向に死ぬ気配がないでヤンス! しかも似たような話と台詞を繰り返すばかりで、これはプログラムが無限ループに陥ってるに違いないでヤンスよ!」
 「(賢和の頬に肘鉄をめりこませる)この毛唐の手先めがッ!」
 「(両手足を卍状に広げて壁に叩きつけられる)ぐはぁッ!」
 「(繰り出した肘の先端を震わせて)同一モチーフの再登場はテーマを強調するための常套だろうが! そして繰り返しはプレイヤーどもの知性への疑義の提示と同義で、一方的な奴らからの批判に対抗する意図があるんだよ! 何より死の間際の長広舌は日本芸能のおハコだろうが! 欧米に侵された感性でボクのシャシンを判断するんじゃないよ!」
 「(普段は動かない方向に曲がった関節を元へ戻しながら)は、早とちりでヤンした。でも、次のは間違いないでヤンス」
 「(ウェットティッシュで執拗に肘をぬぐいながら)言ってみろ」
 「(得意げに)異様に演技の下手な声優がひとり混じっているのを見つけたでヤンスよ! その拙さに思わずコントローラーから手を離して耳をふさいじまうので、ゲームの進行が不可能でヤンス!」
 「(賢和の頬にハイキックをめりこませる)そりゃ、ボクのことだ!」
 「(両手足をカギ十字状に広げて壁に叩きつけられる)ぐはぁッ!」
 「大好きな輪島崩子(わじまぽんこ)ちゃんが、ボクの童貞告白に『私もはじめてなの』と処女膜の健在を宣言する! そのやりとりを私的利用のためサラウンド録音するという、物語の内的必然性を体現した極めて重要な場面じゃないか!」
 「(通常稼動する範囲を越えて回転した頚椎を元へ戻しながら)これまた監督の深遠すぎる意図を汲みそこねた早とちりというわけでヤンス」
 「(ウェットティッシュで足の甲を執拗にぬぐいながら)おい、賢和。ボクとポン子ちゃんの苗字を声に出して読んでみろ」
 「(脅えた表情で)こ、枯痔馬。わ、輪島。これでいいでヤンスか」
 「(うっとりとした表情で)コジマにワジマ……2文字もいっしょじゃないか。ボクはここに宇宙的な運命を感じるよ。ああ、かわいそうなポン子ちゃん! 神の悪戯がこれほど引かれあうボクとポン子ちゃんの精神的な結合を許さない……あの愛らしい声がこともあろうに女の肉で包まれているなんて、こんな悲劇ってあるものか! だからボクはポン子ちゃんに正しい容れ物を用意してあげるんだ。最新の映像技術を使ってね(手のひらを組み合わせて遠い目をする。が、途端に険しい顔となる)……いつまで見てやがんだ! さっさとデバッグ作業に戻りやがれ!(賢和の尻を蹴りあげる)」
 「(両手の肘から先を力なくぶらつかせながら)し、失礼いたしましたァ!」
 「(遠ざかる茶色に染まった尻を見ながら)周陽、おまえはボクを裏切るなよ」
 「(ベースボールキャップのつばに手をかける)へへ、それは監督の胸先三寸次第で」
 「(唇を噛みながら宙空をにらみつけて)ホーリー遊児め、なぜ今更G.Wなんだ。わざわざボクにハンデをつけようっていうのか。G.Wでこの表現力に適うと、本気で考えているのか」

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