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日常に愛があふれて

2023.3.15(水)

今週末、母が東京にやってくるそうだ。あまりに里帰りしない娘に痺れを切らし、また、母自身はこちらに実家があるので、彼女もまた久しぶりの実家なようです。血は争えない。

「どこか行きたいところはある?」と尋ねたところ、「カンジャンケジャン」が食べたいとのこと。それは、韓国で食べるやつ~と思いつつ、母を元気なうちに韓国旅行などに連れて行ってあげないとなと改めて思った。

私は、「カンジャンケジャン」を韓国で食べた。大学のときの、友達との貧乏旅行。若いからできた旅行だった。ごはん泥棒という異名をもつこの食べ物は、生の渡りガニを醤油に漬けたものだそう。カニミソとご飯を絡めたり。カニがとれる季節にしか食べられない代物だ。

韓流好きの母を連れてコリアンタウン新大久保に行く?(母はペヨンジュンだいすきから始まった筋金入りの韓国ドラマホリック)…とも思ったけれど、けっこうごちゃごちゃ歩きまわるところだし、母も割と年なので最近のK-POPに詳しいわけではないから、ちょっと違うか…と落ち着きのある韓国料理店を予約することにした。

東京って、なんでもあるようでなんにもない。
スカイツリーに上ったり、美術館に行ったり、遊園地的なところや、ばかでか公園もたくさんあるけれど、どれも日常に溶け込んでいなければ、個人にとっては無用の物となる。特別な場所としての、「スポット」は休日でもそうそう行く場所ではないし、お金がなければ尚更遠い存在。たまに、行くことができればとっても嬉しい、というのがやはり正しい使い方のような気がする。

東京に住み始めて、そうか、来月で8年目になる!  遊びにくる「東京」と、住む「東京」の姿はまるで違う。住むことを目的として最初に降り立ったのは恵比寿駅。エビスビールの音楽が鳴るJRの駅が大好きだ。引っ越した今でも、渋谷区内は、降り立つとふーーっと息がつけて落ち着く場所だ。

歩いて行ける、電車でさっと行ける距離、バスで一本で行ける距離に、小さな美味しいお菓子やさんがあったり、定食屋さんがあったり、座れるベンチがあったり、角で座っている犬に出会えたり、お花がきれいな人の家の庭や、コーヒーの美味しい喫茶店があったり。ただ歩くだけで楽しいような、我々にはそういう小さな場所が必要だ。


甘い沈丁花の香り


日常に愛

誰かから連絡が来ること、定期的に会える人がいること、本棚にいつもある本。ルーティン、ベージュ色に塗った爪、ポーチのなかの常備薬。

大げさじゃなくてよくて、あまりお金がかからないほうがよくて、当たり前なようでそうじゃない、小さなものをもっともっと大事にしたい。

それがあるから、人はどんどん、前へ。突飛なこともできるようになるってもんよ。


エチカ

いただいたサポートは自分磨きのため(書籍代・脱ひきこもり)などに使わせていただきます。