見出し画像

インターン愛子 2023.08.11

ひとり映画もひとり喫茶もひとり焼肉もヒトカラもできちゃうわたし。

誰かと空間をともにすること、そして言葉を交わすことも好きだけれど、ひとりの時間も必要で。

だからきっと、ひとり暮らしも大丈夫なのだろうなと、甘やかされて育ったせいで皆無な生活能力を補う努力は必要だけれど、さみしさとの戦いにはあまり縁がないのだろうなと。

思っていました。東京に来るまで。

今までずっと、せいぜい2泊3日の友達との旅行以外では長く家を離れたことがなくて、知らない土地でひとりでごはんを食べたこともなくて。

帰りが遅くてもずっと起きて待ってくれている母の存在と、自分のために用意されたごはんがある生活からはじめて遠ざかり、部屋でひとりスーパーのお弁当を食べながら、どうしようもなくさみしくなってしまう自分に気が付きました。

本を読んでも映画を観ても、どんなに気を紛らわせようとしても、すきま風のようにこころへ忍び込んでくるこのさみしさ。
ずっと"ひとり"の時間を楽しんで生きてきたけれど、その"ひとり"は、誘おうと思えば誘える人がいる。そして帰れば待ってくれている人がいるという自信に裏付けられた、いわば選択したうえでの"ひとり"なのであって、だからこそ、ひとり以外を選ぶことの出来ない"ひとり"はこんなにさみしいのだと、そう気づいて。

家で帰りを待っていてくれるひとが、わたしのことを思ってごはんをつくってくれるひとが居るということのあたたかさありがたさに、恥ずかしながらはじめて出会えたような心持ちです。

以前鑑賞した映画「ちひろさん」に出てきた

「あなたなら何処にいても、孤独を手放さずにいられる」という台詞。

鑑賞した数ヶ月前は"孤独を手放さない"ということの意味があまり掴めなくて、うまく解釈できなくて。

けれど今は、孤独を、さみしさを手放さないことで、誰かと空間をともにするあたたかさ、その時間のまぶしさを忘れないでいられるのかなと、そう思えます。

さみしいとき、まぶたの裏に浮かぶ顔がある。そんなふうに、会いたいと、思えるひとがいる。

こうしてひとりになって感じたさみしさを手放さず、日々のあたたかさと、それらをもたらしてくれるひとたちを大切にできたら。

そう思えた夜との出会いを忘れずに生きたいです。

さみしさについての文章をしたためながらふと思い出した短歌

「さみしさは箱だと思うわたくしの胸を選んでうずくまる猫」

岡本真帆さん『水上バス浅草行き』より

#出版社インターン

#本屋インターン

#谷保はいいところ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?