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〈第四回〉犬の看板探訪記|東京犬・都下編 |太田靖久|ゲスト:滝口悠生

今回は2人の小説家による犬の看板探訪! 前半に太田靖久さん、後半に滝口悠生さんの探訪記を掲載します。


太田靖久

都下のDOGモたちを一挙紹介

 四回目の探訪は東京犬・都下編だ。東京都下とは、東京23区以外の東京都の市町村を指す。2023年7月現在、都が公開している都内区市町村マップによれば、26市・5町・8村となっている。

〈都下編〉で紹介する市区町村(赤=今回の探訪地/緑=以前に探訪)

 東京都下の中には「犬の看板」探しを開始した最初期に足を運んだ市町も多くあり、僕の原点ともいえる。今回探訪した場所は限られているため、それ以外から合計12枚の看板を紹介する。先ず、瑞穂町、清瀬市、東大和市、青梅市。

 続いて、国分寺市、西東京市、東久留米市、あきる野市。

 続いて、羽村市、小平市、小金井市、昭島市。

 以上、それぞれの看板について語りたいこともあるが、それをはじめるときりがない。こうやって並べるだけでその地域を訪れた際の季節や状況を思い出せるし、すべての【DOGモ】に愛着があるからだ。
 と、ここまでの時点で勘の良い読者は気づいたかもしれない。「今回は冒頭で看板を出しすぎではないか。今連載は探訪をしながらその都度発見した看板をアップするのが基本であり、コレクションを披露する場ではないはずだ」と。
 それには理由がある。先に事情を明かしてしまうと、今回の探訪では今までの三回の連載と比べ、それほど看板を見つけることができなかったのだ。そのため、紹介する体をとって掲載枚数を水増ししたというわけである。
 そんな東京犬・都下編は特別ゲストが参加してくださっている。もし僕の自宅にゲストを招待したのなら、豪華な食事をそろえ、最大限のおもてなしで迎えたはずだ。だが「犬の看板」探訪に関してはこちらの思惑など一切通用しない。忖度なしの非情な世界なのである。

「今回もはじまったな」

 前置きが長くなった。本筋に入ろう。今回は「京王線・井の頭線一日乗車券」を活用することにした。ゲストの参加は昼ごろである。その2時間前の朝10時に小鳥書房の編集Sくんと吉祥寺駅で待ち合わせをして、ふたりだけで武蔵野市と三鷹市を先に回ろうと計画した。
 ゲストの分と合わせて三枚の乗車券をSくんが購入し、僕に一枚渡してくれた。改札を抜けて各駅停車に乗り、ひと駅先の井の頭公園駅で下車。ここはほぼ市境だ。京王線の線路を挟むような形で、東側が武蔵野市、西側が三鷹市である。どちらから攻めようかと思案しながらSくんを待つものの、一向に現れない。何やら駅員と話し込んでいる。しばらくして彼が小走りで近づいてきた。
 「吉祥寺駅の自動改札を通ったあと、切符をなくしたようです。とりあえずはゲストの方用の券を使用して出てきました。あとで買い直します」
 いきなりのアクシデントに衝撃を受けたが、Sくん自身は一向に気にしている様子もない。深く追及することは避け、地図を広げた。今回の探訪予測ルートの作成もSくんに依頼していた。

今回の探訪のしおり(予測ルート)

 まずは三鷹市から攻略することに決めた。最初に出迎えてくれたのはおなじみの【型抜き系】である。

 この笑顔を見ると「今回もはじまったな」と感慨深くなり、励まされている気持ちになる。
 住宅街を抜ける中、二枚目の看板に遭遇。あのスターたちの奇妙な姿がそこにあった。

 写真の撮り方を間違えたわけではない。このように看板が縦に貼りつけられていたのである。【DOGモ】たちにとって不自然で過酷な状況だろう。そのうえ、針金がそれぞれの頭と身体を容赦なく貫通している。それでも笑みを絶やさないプロ意識の高さに感服する。
 三枚目はあの有名な【てれ犬】だ。この犬は同じ演技を求められつづけても決して手を抜かないのだ。

 このように三鷹市は「犬の看板」界のレジェンドたちが活躍する地域であった。そのまま武蔵野市に移動。早々に一枚目を発見した。

 再びの【型抜き系】だ。大量発生である。グレムリンみたいに水に濡れると増殖するタイプかもしれない。
 二枚目はキュートな【DOGモ】だ。身体の色味がグレーの壁となじんでいる。壁の中に住む妖精犬のようですらある。

 三枚目は丸まって登場の黄色い【型抜き系】だ。変幻自在。やりたい放題である。

 そろそろ【オリジナル系】の看板に出会いたいと思っていたところ、団地のフェンスに四枚目が現れた。

 シュロの木みたいな飼い主の髪型が良い。その服装含め、1980年代的ともいえるし、時代が一巡して令和的ともいえそうだ。バランっぽい適当な草も良い。犬のひげが強調されているのも良い。

犬の看板探訪はポップで過酷

 この時点で予定していた時間を使い切った。三鷹台駅に行き、乗車。明大前の改札前でゲストを待つ。無事に合流後、百草園駅を目指した。

 ボストンテリアTシャツで登場の特別ゲストは、小説家仲間の滝口悠生さんだ。滝口さんは町で見つけた「犬の看板」を写真に撮り、時々僕に送ってくれている。散歩好きであることも知っていたため、この機会にゲスト出演を依頼したところ、快諾いただけたという次第である。滝口さんのデビュー作である「楽器」は散歩小説ともいえるだろう。
 百草園駅は日野市に存在する。隣駅の聖蹟桜ヶ丘駅は多摩市なので、ひと駅分歩き、両市の看板を見つけるのが最初の目標だ。編集Sくん作成の予測ルートの地図を滝口さんにも渡す。
 「縮尺おかしくないですか。効率性と無駄さのギャップがすごい」とコメントしてくれたが、まったくもってその通りである。「犬の看板」探訪はポップな装いのイメージに反して体力勝負の過酷な遊びである。
 滝口さんは百草園駅で降りたのは初めてとのことだったが、僕も同様のため、まったく土地勘がない。スムースに「犬の看板」に遭遇できるかどうか不安があった。南口を出て川越街道を東に進む。右手は小高い山になっていて、路地があまりない。このままではすぐに多摩市に辿り着いてしまいそうで焦りがあった。そんな時にようやく一枚目が見つかった。

 群馬県太田市では黒以外の色が消えてしまっていた【フリ素系】の看板だ。犬が頬を赤らめている様がけなげだ。
 三人で初めての看板に近寄って歓喜していたところ、すぐ近くに大きなキャリーケースを傍らに置き、何かを待っているような雰囲気の人がいる。そのピンク色のキャリーケースの後ろになにやら白いものが隠れている。また別の「犬の看板」に違いないと確信したが、「ちょっとどいてもらえないでしょうか」と声をかけるわけにもいかず、とりとめない雑談をつづけ、時間をかせいだ。ようやくその人が離れた時、はたして二枚目の看板が現れた。三日月みたいな形状の頭部がかわいい【DOGモ】だ。

 「あのキャリーケースの人は僕らの行く手を先回りして看板を隠す妨害行為をしているのではないか」と、陰謀論めいたことを滝口さんが口にしたため、「我々は巨大組織に狙われていますね」と、僕もそれに応えた。

電信柱の裏に回り込んだ滝口さん

 直に多摩市に入った。「小野神社は歴史が古いからその周辺に看板があるのではないか」とSくんから提案があったため、多摩川方面に向かった。神社では看板が見つからなかったが、電信柱に【型抜き系】の看板があった。

 よく見ると管轄が「東京都衛生局」である。多摩市のものではないと落胆したところ、電信柱の裏側に回り込んだ滝口さんが「こっちにもある」と声をあげた。

 同じ【型抜き系】でありながら形状が微妙に異なるうえに、こちらは多摩市の看板であった。
 この時の高揚感を僕は言葉にできない。一連の流れをどううまく描写すれば良いのだろう。とにかく笑いが止まらなかった。すぐ側で道路工事が行われていて警備員が怪訝な表情を浮かべて僕を見ていた。小説家として失格だが、きっとこのニュアンスはどうやっても伝えられない。色々な状況が組み合わさり、偶然が重なって、とてつもなく面白いと感じる出来事が「犬の看板」探訪の中では起きるのだ。
 聖蹟桜ヶ丘駅に着いた。乗車し、府中市にある武蔵野台駅で下車。隣駅の飛田給駅は調布市だ。今度もひと駅分歩いて両市の看板を探すのが狙いだった。急な坂をくだっている時に一枚目が見つかった。こちらはほとんど消えかかっていて絵柄が不鮮明だったが、翌日に府中市を再訪する機会があり、同じ看板があったので撮影した。

 犬が泣いているのが悲しい。他方、警戒心の強そうな猫のふてぶてしさが良い。

型抜き系ばかり!

 続いて調布市で発見したのはまたもや【型抜き系】だった。

 「いいかげん色のついたやつを見つけたい。結局この白黒のやつ頼りになっている」と滝口さんから指摘があった。まったくもってふがいない限りではあるが、この探訪がやらせではないことの証左でもある。
 ただここで終わるわけにはいかないと奮起した。前回の<番外編>で取りこぼした世田谷区の看板を見つけるべく、飛田給駅から上北沢駅へ移動した。
 しかしここでも僕たちを待っていたのは【型抜き系】だった。

 滝口さんに同行していただける時間はもうすぐ終わりだった。どうにかして最後に滝口さんに色つきの看板を見せたいと願う中、二枚目の看板を発見した。

 ウィッグをかぶっているようなヘアースタイルの【DOGモ】だ。まつ毛がかわいい。
 無事に【オリジナル系】の看板でオチがつく形になり、心底安堵した。滝口さんを桜上水駅で見送ったあと、僕とSくんは駅前の喫茶店「月とつぼみ」に入った。チーズケーキを食してコーヒーを飲んだら、だいぶ体力が回復した。時間は17時30分。日の入りまでまだ余裕がある。少し欲が出てきた。今回は今までの探訪と比して「犬の看板」の撮れ高が不足している。思い切って再度電車に乗り、新たな地域を訪ねることにした。

日の入りが迫るなか、再び探訪へ

 桜上水駅から稲城駅に移動。北口を出て坂をくだる。三沢川沿いを歩いていたら一枚目が見つかった。

 【型抜き系】のイラストバージョンのような犬猫だ。二匹の周りに浮いているシャボン玉のような球体にも味がある。
 二枚目も川の手すりにあった。おなじみの【てれ犬】に飼い主がいるバージョンだ。実はこの【DOGモ】は別の姿態で他の看板にも登場している。その看板を一緒に並べてみる。

 こうやって見ると、瑞穂町では洋式便器を使うことができるかしこい【てれ犬】が、稲城市ではつい粗相してしまったようにも見える。そのことをとがめることなくフンを処理する飼い主の微笑みが良い。
 稲城市の看板を早々に発見できたため、急いで駅に戻り、再びくだり電車に乗った。八王子市にある京王堀之内駅で下車。すでに陽は落ちていて辺りはうす暗かったが、八王子の犬に出会うまでは帰らないと決めた。

幸運の予感

 稲城では川沿いで看板を見つけたため、その法則にならい、今度も川を目指した。大田川に着く。群馬に続き、ここでもまた僕と同名の「おおた」だ。幸運の予感がした。橋を渡ると、一枚目があった。

 【フリ素系】である。粘りたい気持ちが芽生えた。どうにかして【オリジナル系】で締めたい。川の流れに逆らう形で川沿いをさらに進む。橋の側に必ず看板があることがわかった。しかし二枚目も三枚目も【フリ素系】だった。

 さすがに疲れてきたが、どうにも諦めきれない。これで最後だと言い聞かせて次の橋へと向かう。ドラマを捏造するわけにはいかない。実直に動きつづけるしかないのだ。遠目に橋が見える。看板の存在もかろうじて視認できる。先に行ったSくんがスマートフォンのライトで看板を照らした。暗闇の中で図柄が浮かびあがる。四枚目は悲願の【オリジナル系】だった。

 とぼけた犬の表情と仕草が良い。この看板を写真に収めた時、ようやくここで今日は終われると思った。
 帰りの電車はお互い無言だった。今回はゲストに参加いただいただけでなく、今までで最長時間の探訪となり、情報量が多すぎて一日を振り返る余裕もなかった。たくさんの犬たちの姿が胸に去来する。ハンドタオルで汗をぬぐう。2023年の夏を生きているのだと実感しつつ、東京犬・都下編を終えた。



滝口悠生

緊張の初参加、昼飯問題

 これまでも散歩中や出先などで犬の看板を見つけたら写真を撮って太田さんに送ったりしてきたが、こうして一緒に看板を探して歩くのははじめてのことだった。
 当日は、正午に京王線の明大前駅で待ち合わせとのことだったからその近辺を歩くのかと思っていたら、会うなり一日乗車券と地図を渡され、そこからいきなり小一時間の電車移動で、着いたのは京王線百草園駅。はじめて降りる駅で、読み方もわからなかったが、「もぐさえん」と読むそうで、太田さんも地縁はないらしく道中何度も「もずくえん」と言い間違えていた。
 小鳥書房の佐藤さんが制作した地図にはこの日予定された移動ルートが示されているが、それはできるだけ多くの市区を効率的に巡るべく考えられたもので、最初の下車駅が百草園なのも日野市と多摩市の境に近いためだった。聞けば、太田さんと佐藤さんは、すでに午前中から三鷹市と武蔵野市で犬の看板を探して歩いてきたのだと言う。ご苦労なことだ。
 お昼ご飯は食べたんですかと訊くと、まだだと言う。私は出る前に食べてきたのだが、どっかで食べてから歩いた方がいいですよ、と言ったが太田さんは、これから行く先で犬看板を見つけるまでは昼飯なんか食べるわけにはいかない、みたいな雰囲気で、そんなことを言う太田さんも心配だが、そんな太田さんに付き合っている佐藤さんのことが心配になる。犬の看板を探して愛でる活動が、そんな体育会系部活みたいな精神でいいのだろうか。
 太田さんの犬看板探しに何度も付き合ってると、空腹とか感じなくなってくるんですよね、みたいなことを佐藤さんも言っていていよいよあぶない。
 天気予報によれば東京は今日もずいぶん暑そうだった。私は水分補給や栄養補給の大切さをふたりに説き、たとえば犬の看板探しの際は各地の喫茶店などでホットドッグを食べる決まりを設けるなどしてはどうか、と控えめに提案してみたのだが、車内で地図を凝視する太田さんは生返事をするばかりだった。

犬の看板探しは登山に似ている

 百草園駅に到着し、駅を出ると駅前こそ商店が並んでいたがすぐに静かな住宅地に入った。太田さんがたびたび熱弁している通り、ふだんは至るところにあるように思える犬の看板も、探してみるとなかなか見つからない。
 歩き出して気づいたが、先ほど渡された地図にはこの日の行動範囲の全域が載っており、それは東京西部のかなり広域に及ぶため、実際に街を歩く道路地図としては縮尺が大きすぎてほとんど役に立たないのだった。地図をつくった佐藤さんは学生時代登山部だったそうで、この地図も基本的に登山の際のルートや、各ポイントの通過予定時刻を示す感覚で作成しているとのことで、道路地図よりは地形図っぽい。
 しかし犬の看板探しというのは、別にどこからどこを通ってどこに行き着くかよりも、その行程で柔軟に、犬の看板がありそうな方へ進路をとり、かつ彼らにとっては一日でできるだけ多くの場所を巡りたいようだから、のんびりとあてのない街歩きよりはなるほど登山に似ているのかもしれない。ひとつところに粘ってとどまるより時に諦めて下山する、つまり次の街へと移動することも肝心である。

最初の看板発見! しかし……

 日野市の住宅街を歩いていく。同じ造り、同じデザインの住宅が並ぶ一帯はいかにもこのへんらしいニュータウンの均質的な景色で、実際のところは知らないが各区画の美観や風紀も自治的に保たれている雰囲気があり、ということは行政などの犬の看板が掲示される余地もあまりなさそう、ということなのか。
 川があったので私は橋を渡って、太田さんたちと川を挟んだ両側を手分けして歩いてみた。するととうとう見つけた! 川沿いの道に開けた住宅の前庭に立てられた小さな板。そこには「可愛いワンちゃんの糞はお持ち帰り下さい。」と家主が手書きで書いたと思しき文言があった。手書きなので犬のイラストこそないが、これも立派な犬の看板だし、自家製だから世界でここにしかないオンリーワンの看板である。私は得意になって、ありましたよー、と川向こうの太田さんたちに呼びかけた。
 しかし、橋を渡って彼岸から此岸へとやってきた太田さんがその看板を見た反応は思いのほか薄く、ああー、と看板を眺めるなりため息のような声をもらし、写真撮影をする気配すらないのだった。どうやらこの看板は「不採用」ということらしい。やはり犬のイラストがなくてはだめなのか。私は残念な気持ちになったが、このパーティーのリーダーは太田さんであり、ここは彼の判断に従うべきだろう。私は登山はほとんどしたことがないが、登山中の仲間割れは遭難などにつながるので大変危険だし、山では豊富な経験から導かれる冷静な判断が生死を分けると聞く。この犬の看板探しにおいても、初心者の私がいきなり太田さんに文句を言うのは早計というものだろう。そして実際、太田さんのこの反応の理由はこの日の探索でだんだんと明らかになっていったのだ。

「不採用」の看板たち

 このあと日野市と多摩市の境を越え、聖蹟桜ヶ丘駅から電車に乗って武蔵野台駅へ移動し、府中市と調布市の境を歩き、その後飛田給駅から上北沢駅へ移動し私が帰宅する時間まで世田谷区内を歩き、その各所で犬の看板を発見した。その詳細は太田さんのレポートにある通りだが、実は道中我々が発見したにもかかわらず、太田さんの記事中で報じられていない看板もある。それは先の私が発見したような、敷地の管理者が個人で作成した看板や、量販された看板プレートなどを管理者の敷地内に設置したようなもの、つまり市区とか保健所などの公的機関のクレジットがない犬の看板である。
 数は多くないし、公的機関が設置したものに比べると図柄がないとか、見劣りすることもあるけれども、そのひとつひとつには設置者の切実さが反映されている。犬の看板の最も重要なメッセージは、そこに犬の糞を放置しないでくれ、というものであり、そのメッセージの伝達のニュアンスの差異(丁重なものもあれば、警告のようなものもある)が看板のデザインや文言の差異を生む。いずれも根にあるのは誰かの切実な願いに変わりない。となれば、公的なものよりも個人宅の私設看板こそ、そのメッセージの切実をより直接に反映していると言えないだろうか。
 と私は勝手に思うのだが、一方で太田さんとしてはこうして探索の結果を公開する以上、個人の敷地内に立てられた看板に付随するプライバシーとか著作権について考慮する必要があることも理解できる。勝手に誰かの家の庭に設置されたものを撮影して公開し、かつああだこうだと勝手な分析を加えたりすれば、そんなつもりはなくともそれはいろんな権利の侵害に及んでいて、いずれなにかしらの問題に発展する可能性もある。

メジャーデビューしたバンド、公共という線

 最近は「小説家」の看板と並べて「犬の看板マニア」の「看板」も掲げて活動している太田さんである。リスクマネージメントの観点から、「犬の看板マニア」としての探索対象は「〇〇市」や「〇〇保健所」などの設置者が明記された公共性が担保されたものに限る、つまり私設の犬看板は対象から外さざるを得ないのだろう。
 それは妥当な判断だと思う。しかし、正直一抹のさびしさもある。それはインディーズの時代から追っていたバンドが、メジャーデビューしてテレビに出たりするようになった、それをよろこばしく思う反面、かつての粗削りなライブパフォーマンスにあった魅力はもう見られない、というさびしさに似ているかもしれない。古参ファンの胸中には、昔の方がよかった、と言ってはいけない一言も過る。売れたバンドがインディーとメジャーのあいだに線を引くように、太田さんも多種多様ある犬の看板のなかに公共という線を引いたのだろうか。

「アンタは行政の犬だ!」

 この日、私はその後も私設の犬看板やシール式のものなどを見つけては一応太田さんに報告したが、やはり太田さんは渋い顔で、それを写真に収めることすらしようとしないのだった。
 彼が探し求めているのはとにかく公共のお墨付きを得た看板であり、個人作成や市販された量販品の看板にはほとんど目もくれない。「犬」はしばしば権力やお上に飼い慣らされた存在を表象するが、この太田さんの振る舞いはまさに公私を分断し「公」の側につく振る舞いではなかろうか。そんなことでいいのだろうか。
 「アンタは行政の犬だ! この看板たちに描かれた犬たちはアンタ自身の姿なのさ!」
 発見した看板が次々「不採用」となって募る不満に、思わずそんな罵倒の言葉も喉元まで出かかった。
 しかし、太田さんと私は短くない付き合いである。彼がいかに犬を愛する人間であるかもよく知っているつもりだ。だから冷静に考えてみれば、彼のその態度、というか判断に、実は忸怩たる思いが潜んでいるに違いないことも想像できてくる。現実と表象の区別すらせずすべての犬を愛でようとする犬馬鹿の彼は、できることならばすべての事情は措いて目の前に現れた犬の看板すべてを愛でたいし、楽しみたいに違いない。せめてすべてを写真に収めて、公開せず私的に楽しむくらいのことはしてもいいと思うが、彼はその欲求さえぐっとこらえて、私設看板の前では無慈悲を装っているのだ。

太田さんは「犬の看板」の小説を書こうとしている

 小説家というのはごく公共的なマテリアルである言葉を用いて書いた文章を、これまたごく公共的な手段である出版という方法で頒布する者であり、どんな物書きだって常に「公共性」と「私性」の間に立っている。
 小説家は、作品ごとに「公共性」と「私性」の間の、どのあたりにラインを引くかを決め、小説を書く。そこに働く意図や思惑はいろいろで、その個別的な有り様こそがそれぞれの小説家の個別性であり、そこに生まれる作品の独自性につながるのだと思う。太田さんがすべての犬を、そしてすべての犬の看板を尊んでいればこそ、太田さんは公共性の高い看板に対象を絞ることで、彼なりの「犬の看板」についての小説を書こうとしているのだと思う。

犬たちの解放

 散歩当日は思わず太田さんの公共性偏重ぶりに不満を抱きかけてしまったが、いまでは深く反省している。彼が各地で発見し、分析する記事を読めば、彼が引き受けた公共性のうちに潜在するファクターがいかに多彩かがわかる。経年による変色が表す時間、文言の類型、イラストや看板そのものの制作背景、描かれた犬たちの犬種や表情、などなど。彼は行政によって個別性を奪われかけた犬たちにふたたび個々の物語を見出し、与え返していく。それは公私の私を切り捨てる振る舞いなどではなく、公共の線引きの内にある犬たちをその外へと解放しようとする営みなのだ。
 小説もまた、言葉を用いる以上は常に公共と私のあいだで語られ、書かれ、読まれるしかない。小説の言葉がほかの言葉と少し違うのは、それはいずれもひとりで行われるところだ。ひとりで語り、ひとりで書き、ひとりで読む。だから、小説の言葉というのは、それがどんなに公共性の高い、汎用性の高い、つまり読みやすい文章であっても、巨大な看板に大きく掲げられるようなことはない。紙であれ、電子書籍であれ、そのフォーマットはいつもひとりで読む用につくられる。小説の言葉は、いつも個人の手元にひっそりとある。路地の片隅で発見されるのを待つ古びた犬の看板のようにである。
 小説家の仕事というのは、自分についてうまく語るための言葉がまだ見つからないひとから、うまく言葉を聞き出してあげることだと私は思う。太田さんが看板のなかの犬たちに目を向けるのも、それと同じことをしていると思うのだ。

私の犬の看板活動

 私は太田さんほど犬にも、犬の看板にも熱意がないから、いまも日々犬の看板を見つけたらそれが公共性があろうがなかろうが、とりあえず適当に写真に撮って太田さんに送る。
 知らないひとの家のやつも外から見える分には撮って送る。前に送ったのと同じ看板でも送る。私にとっては、今日ここで見つけた看板と、昨日別の場所で見つけた看板は、たとえまったく同じデザイン、文言であろうと、別物だからだ。
 実際太田さんがどう思っているかはわからない。迷惑かもしれない。しかしそうやって、太田さんのコレクションに採用されるかどうかは気にせず日々犬の看板を送りつけることが、太田さんの犬の看板コレクションという「小説」に対する私の批評になる。太田さんは、いつどんな看板を送っても必ずコメントを返してくれる。



著者:太田靖久(おおた・やすひさ)
小説家。2010年「ののの」で第42回新潮新人賞受賞。電子書籍『サマートリップ 他二編』(集英社)、著書『ののの』(書肆汽水域)、『犬たちの状態』(金川晋吾との共著/フィルムアート社)、『ふたりのアフタースクール』(友田とんとの共著/双子のライオン堂出版部)など。そのほか、文芸ZINE『ODD ZINE』の編集、様々な書店でのイベントや企画展示、「ブックマート川太郎」の屋号でオリジナルグッズ等の制作や出店も行っている。無類の犬好き。

著者:滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう)
小説家。2011年「楽器」で第43回新潮新人賞を受けデビュー。2015年『愛と人生』で野間文芸新人賞、2016年に『死んでいない者』で芥川賞。2023年『水平線』で織田作之助賞、芸術選奨。同年「反対方向行き」で川端康成文学賞。ほかの著書に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』『長い一日』『ラーメンカレー』など。共著に植本一子との『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』など。


連載について
犬を愛する小説家・太田靖久さんのライフワークである「犬の看板」探訪を全12回にわたってお届けします。
公開日時は毎月30日18時、第五回は9月30日18時予定です。


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