脚本家とはアムロ・レイなのか、碇シンジなのか問題
エヴァンゲリオンはテレビ版の頃から観ていましたが、ガンダムには疎い私。
あるとき、ふいに思い立ってネット配信されているファーストガンダムの第1話を観てみました。
第1話のなかでアムロは、仲間を助けるべく、自らガンダムを操縦しようと決意します。
といっても、この時点でアムロは何者でもない、普通の少年です。
何の訓練も受けておらず、無謀と言わざるを得ません。
ですがアムロは偶然、ガンダムの操縦マニュアルを手に入れているのです。
初めてガンダムに乗り込んだアムロは、マニュアルのファイルをめくりながら操縦し、敵と戦います。
このようにアムロは当初、マニュアルに従ってガンダムを”操って”います。
一方、『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジはというと、エヴァ初号機との自分自身とのシンクロ率を高める、つまり”一体化”をすることによってエヴァを起動させます。
私はファーストガンダム第1話を観た際に、「アムロとガンダムの関係」と「シンジとエヴァの関係」は、「脚本家と登場人物(主に主人公)との関係」を表すのに使えると感じました。
作劇には、数多くのルールとセオリーがあります。
「主人公には何らかの葛藤が必要」
「主人公はストーリーのはじめと終わりで何らかの変化が必要」
等々、ある種のマニュアルですね。
ひたすらマニュアルに従って、書き手が主人公を操作している状態を「ガンダム型執筆」と呼ぶとしましょう。
マニュアルを片手におっかなびっくりガンダムを操縦しているときのアムロの状態です。
ファーストガンダム第1話のアムロは、操縦マニュアルを初めて目にしたとき、こんなセリフを口にしています。
「教育型コンピューター」というのですから、おそらくアムロがガンダムを操縦する回数が増えるほどデータが蓄積され、”アムロ仕様のガンダム”が出来上がっていくということなのでしょう。
これを「脚本家と主人公の関係性」に置きかえるならば、
「作品数が増えるごとに、主人公に書き手のオリジナリティが反映されやすくなってくる」
ということになると思います。
そして、さらに先に進むと「脚本家と主人公の関係性」は「シンジとエヴァの関係性」になっていくのではないでしょうか。
シンクロ率が高まり、脚本家が主人公と一体化しながら作品を書き上げていく状態ということです。
主人公が恐怖に震えているときには書き手の心臓も高鳴り、主人公が悲しみに暮れているときには書き手の目にも涙が浮かぶ。
そんな状態を「エヴァンゲリオン型執筆」と、私は呼んでいます。
さて私は、今noteでこちらの本のレビューを投稿し続けています。
(1章ごとにレビューし、マガジンにまとめています。)
この本のなかで著者のロバート・マッキーは、「ストーリーを内側から描くこと」の重要性を度々述べています。
といった具合です。
ロバート・マッキーが言う「登場人物はもちろん、自分自身の内面にもはいりこんだ状態」がエヴァンゲリオン型である、と言うこともできるでしょう。
ですが、ストーリーを書くことに取り組み始めたばかりの人がいきなり「エヴァンゲリオン型」を目指すのは難易度が高すぎるように思います。
天賦の才で、初めて書く作品から登場人物とシンクロできる人もいるかもしれませんが、そういう天才を除けば、まずはマニュアル片手に「ガンダム型」で執筆を繰り返していくのが第一歩にふさわしいのではないでしょうか。
そうするうちに、書き手の個性が発揮されるようになっていき、「エヴァンゲリオン型」に近づいていくのではないかと思います。
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こんな風にnoteには、私なりの作劇術を投稿しているときもあります。
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