脚本と小説の書き方の違い その3
「脚本家です」と名乗ると、
「小説家さんとは、どう違うんですか?」
と尋ねられることが多いので、これまでに二度「脚本と小説の書き方の違い」という投稿をしました。
『脚本と小説の書き方の違い』←こちらでは、それぞれの描写の仕方の違いをご説明し、
『脚本と小説の書き方の違い その2』←こちらの投稿では構成の違いを中心にご説明しました。
今回は、noteで全文無料公開中の小説『すずシネマパラダイス』を例に挙げてご説明してみたいと思います。
この作品は、もともと映画企画として立ち上げたものなので、noteに投稿してある「小説版すずパラ」よりも前に、「映画脚本版すずパラ」というものが存在しています。
(その辺りの経緯は、こちらの投稿に書きました。)
そこで、同一シーンを「小説として書いた場合」と、「脚本として書いた場合」の例をお見せしたいと思います。
まずは「小説版すずパラ」の冒頭シーンです。
続いて、「脚本版すずパラ」の冒頭シーンです。
脚本版は、小説版に比べてかなりシンプルですよね。
この原稿を基に、映像をつくることを前提としているので、小説版では細かく描写している「軍艦島の形」のような、「映像を見ればわかることを」を脚本上で逐一説明する必要はありません。
また小説版の方は「演歌のカラオケビデオかよ」という一雄の内心の毒づきから始めていますが、映画ならば、観客は「演歌のカラオケビデオを思わせる映像そのもの」を目にすることになるので、一雄の言葉を使って説明する必要はないと判断しています。
一雄の「無駄に粋がっている感じ」に関しても、脚本上の表現の方がずっとシンプルです。
これも、映像になった際には演技、演出を通して観客に伝わる情報が数多くあるからです。
もし、ここにナレーションをつけて「一雄は、こういう性格で、ファッションにはこういうこだわりがあって……」といった説明を入れると、くどくなり、ストーリーに入り込めなくなると考え、こういう描写を選んでいます。
小説の場合は、読者が得られる情報は「原稿上に書かれていることだけ」です。
ですので、小説内で「軍艦島」という名前を出しただけでは、長崎の軍艦島の方が頭に浮かぶ人も多いでしょうし、書き手が伝えたいイメージを頭に思い描いてもらうことができません。
そのため、自ずと描写が細かくなります。
また小説ならば、登場人物の「言葉に出さない心情」や「過去に起きた出来事」などを地の文(セリフ以外の部分)で説明しても、読者はそれほど不自然に感じることはありません。
ですが、同じ内容を長々と映画やドラマのナレーションにしたり、無理やりセリフにしたりすると、いかにも説明的な感じがして、冗長になるため、脚本の場合は「説明と気づかれない形で説明をする(さりげなく観客に情報提示する)」という工夫が必要となります。
今回取り上げた「すずパラ」の冒頭シーンにセリフは出てきませんが、小説と脚本では、セリフにも違いがあります。
「すずパラ」は小説も脚本も私が書いているので、例外的にセリフにほぼ差異はありませんが、既存の小説を原作として、脚本家が映画、ドラマ用の脚本を書く場合(=小説家と脚本家が別の場合)、小説のセリフをそのまま脚本内で使うと、「説明っぽい」「話し言葉として不自然」といった問題が起きがちです。
これは、赤川次郎氏の大ヒット小説『三毛猫ホームズの推理』のワンシーンです。
数行引用しただけでも、いかにも事件が起こりそうなドキドキ感が伝わってきますが、私がこのシーンを「脚本」にするなら、セリフは以下のように変えると思います。
「目で読むこと」を前提とした言葉と、「人の声を通して聞くこと」を前提とした言葉は別物であり、一方に適した表現が、もう一方には適さないこともあるわけです。
お勧めの脚本術の本もご紹介しておきますので、ご興味のある方はお読みになってみてはいかがでしょうか。
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noteで全文無料公開中の小説『すずシネマパラダイス』は映画化を目指しています。 https://note.mu/kotoritori/n/nff436c3aef64 サポートいただきましたら、映画化に向けての活動費用に遣わせていただきます!