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ブックレビュー ロバート・マッキー著『ストーリー』(5)第2部 ストーリーの諸要素 構成と登場人物

『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』のレビュー第五回を投稿します。
(各回をまとめたマガジンはこちらです。)

※ こちらのレビューは、非常に内容が濃い本書を私なりにまとめた「概要」です。
興味をお持ちになった方は、ご購入の上、本レビューを副読本的にお読みになることをお勧めします。

第2部 ストーリーの諸要素
5 構成と登場人物

作劇に関する本や、シナリオスクールの授業で、このような言葉を読んだり聞いたりしたことはないでしょうか?
「脚本作りにおいて最も重要なのは、魅力的な登場人物を生み出すこと」
「良いキャラクターさえできれば、ストーリーはどうとでもなる」

私の経験では、このように「キャラクター設定が、ストーリー構成よりも重要」とする意見をよく見聞きするように思います。
著者のロバート・マッキー曰く「プロットか、登場人物か。どちらが重要か?」という論争は、芸術が生まれて以来続いているとのこと。
この問いに対する著者自身の意見は、以下のように記されています。

構成と登場人物のどちらが重要かという問いには意味がない。
というのも、構成が登場人物を形作り、登場人物が構成を形作るからだ。
このふたつは等しいものであり、どちらが正しいということはない。
それでも、いまだに議論がやまないのは、作中人物のふたつの重要な側面――実像と性格描写のちがい――について広く混同がみられるからだ。
(P125より引用)


【実像と性格描写】

著者の言う「実像」と「性格描写」とは、以下のようなことを指します。

性格描写とは、ある人間に関して、目に見えるすべての性質をまとめたものであり、どれも綿密に調査をすればわかる。
年齢や知能指数、性別や性的指向、話し方や身ぶり、家や車や洋服の好み、学歴や職業、人間性や性癖、価値観や主張など、日々観察すればわかる人間性のすべての側面だ。(P126より引用)

人間の実像は、緊迫した状況でおこなう選択によって明らかになる――重圧がかかるほど、深い部分が明らかになり、おこなう選択はその人物の本質に迫るものとなる。(P126より引用)

「魅力あるキャラクターを作ること」は、作劇に関するあらゆる本のなかで「重要だ」と書かれているでしょうし、シナリオスクールでも再三、「大切だ」と教わると思います。
ですが、いざ「魅力あるキャラクターを作ろう」と書き手が考える際には、「性格描写(=表面に現れている性質)」についてしか考えていないというケースも多いのではないでしょうか?

何もリスクにさらされていない状況でおこなう選択には意味がない。
嘘をついても得るものがない状況で本当のことを言ったとしても、その選択はとるに足りないもので、その行動は何も表さない。
だが、同じ人物が、嘘を吐けば窮地を脱することができるにもかかわらず、真実を語ることに執着したとしたら、その人物の根底にある誠実さを感じとることができる。(P126より引用)


【登場人物の実像を明らかにする】

「実像」と「性格描写」の違いを説明した上で、著者は、
「『性格描写』の部分には表れていない『実像』を明らかにすることが、すぐれたストーリーを書く基本だ」
と述べています。
実社会には、「性格描写」と「実像」が一致している人物も存在しているでしょう。
ですが、それではストーリーが退屈にならざるを得ないと言うのです。
『007』シリーズを例に挙げて、著者はこのように解説しています。

ボンドのシリーズが続いているのは、性格描写に反した深みのある実像が毎回明らかになるのを全世界が心待ちにしているからだ。
ボンドはプレイボーイを演じ、タキシードに身を包んで華やかなパーティーに顔を出し、カクテルグラスを片手に美女に誘いをかける。
だが、物語の緊張が高まると、プレイボーイの外見に隠されていた知性派のランボーが現れる。
遊び人という性格描写を覆す機知に富んだスーパーヒーローの姿に観客が飽きることはない。(P129より引用)


【登場人物の変化】

主要登場人物は、性格描写と比較、もしくは対立させて、奥深い実像を描くのが原則。
この原則をさらに発展させて、「登場人物の実像に変化が起きること」も重要であると著者は言います。

すぐれた作品では、登場人物の実像が明らかにされるだけでなく、物語が進むにつれて、よい方向であれ悪い方向であれ、内面の性質が変化していく。
(P129より引用)

フィクションの長い歴史を通して、登場人物と構成は以下のような関係になっている。
第一に、ストーリーは主人公の性格描写を行う。
(中略)
第二に、観客は登場人物の心のなかへすぐさま引き込まれる。
主人公が行動を重ねるたびに、その本性が明らかになる。
(中略)
第三に、こうして現れた本性は、登場人物の表向きの姿とは一致しないもので、矛盾とは言わないまでも対照的だ。
(中略)
第四に、登場人物の本性が明らかになるにつれて、ストーリーがかける圧力もしだいに大きくなり、さらに困難な選択を強いる。
(中略)
第五に、ストーリー・クライマックスに至っては、そこまでの選択によって登場人物のあり方はすっかり変わっている。(P130~131より引用)


【構成と登場人物の役割】

構成の役割は、しだいに高まっていく重圧を登場人物に与えて、困難でリスクをともなう選択を強いられる窮地へと追いやり、自分自身でも気づかないほどの本性を表すよう徐々に仕向けることである。(P131より引用)

登場人物の役割は、説得力のある行動を起こすのに必要な良質の性格描写をストーリーにもたらすことである。
端的に言うと、登場人物には真実味がなくてはいけない。
若いか高齢か、強いか弱いか、世慣れているか純朴か、教養があるか無知か、寛大か利己的か、機知に富んでいるか退屈か、適切な設定にする必要がある。
どの人物も、そういった行動をとるのが自然だと観客に感じさせるような資質の組み合わせをストーリーにもたらさなくてはならない。
(P131~132より引用)

ストーリーの構成は、登場人物をよりよく描くことができるよう設定するのが重要である。
登場人物は、ストーリーにより説得力を持たせることができるよう設定するのが重要である。
……というわけです。

出来事を考えるのと登場人物を考えるのは、合わせ鏡のようなものだ。
登場人物を深く表現するには、ストーリーをしっかりと設計しなくてはならない。(P133より引用)


【クライマックスと登場人物】

構成と登場人物は均整のとれた形で連動していき、やがてエンディングの問題に行きあたる。
ハリウッドには「映画は最後の二十分で決まる」という名言がある。つまり、世界で通用する映画にするためには、最終幕とそのクライマックスをだれにとってもいちばん満足できるものにしなくてはならない。
最初の九十分がどんなにすばらしくても、最終幕の出来が悪ければ、映画は封切り直後に打ち切りとなる。(P133より引用)

映画は時間芸術であり、造形芸術ではない。
映画の仲間は絵画、彫刻、建築、スチール写真のような空間芸術ではなく、音楽、舞踏、詩、歌唱など、時間の流れに影響されるものだ。
お楽しみは最後にとっておくこと。(P134より引用)

ストーリー設計に費やされる多大な努力のうち、75パーセントは最終幕のクライマックスを書くことに向けられる。
ストーリーの山場は脚本家の仕事の山場でもある。(P134より引用)

クライマックスの重要性を著者はこのように述べています。
そして「物語の構成と、登場人物の関係」に関して、以下のようにまとめています。

物語の構成と登場人物の実像は、ひとつの現象を異なる視点から見ているにすぎない。
登場人物が表向きの仮面の下でおこなう選択が、その人物の内面を形作るとともにストーリーを推進させる力ともなる。(P135より引用)


☆「第2部ストーリーの諸要素 6構成と意味」に続く

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※このブックレビュー全体の目次は以下の通りです。
第1部 脚本家とストーリーの技術
(1)ストーリーの問題

第2部 ストーリーの諸要素
(2)構成の概略
(3)構成と設定
(4)構成とジャンル
(5)構成と登場人物
(6)構成と意味

第3部 ストーリー設計の原則
(7)前半 ストーリーの本質
(7)後半 ストーリーの本質
(8)契機事件
(9)幕の設計
(10)シーンの設計
(11)シーンの分析
(12)編成
(13)重大局面、クライマックス、解決

第4部 脚本の執筆
(14)敵対する力の原則
(15)明瞭化
(16)前半 問題と解決策
(16)後半 問題と解決策
(17)登場人物
(18)ことばの選択
(19)脚本家の創作術

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