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すっぱいぶどう

グリム童話の『すっぱいぶどう』が好きです。
お腹を空かせたキツネが、たわわに実がなったぶどうの木を見つける。
高い所に実がついていたので何度も飛び上がってみたけれど、どうしても届かず、きつねは、
「あんなぶどうはどうせ、すっぱくてまずいに決まっている」
と言い捨てて去っていった……というお話ですね。

短い物語の中で、キツネというキャラクターを使って、人の心理が巧みに表されていると思います。
望んだものが手に入らなかったとき。
自分の能力の足りなさを思い知らされたとき。
誰かがうらやましくて堪らないとき。
世の中が理不尽なことだらけに思えて、自分だけが損をしているように感じるとき。
いろんな場面で人は、自分で自分に嘘を吐いているように思います。
現実をそのまま受け止めると、心が傷ついてしまう。
だから、
「あんなもの、私は別にほしくない。大した価値はない」
「あの程度のものを手に入れてはしゃいでるなんて、バカみたい」
といった具合に自分を騙して、痛みを回避するわけですね。

だけど、その嘘をつくことで、失っているものもあるように思うのです。
「本当はぶどうが食べたくてたまらない」
という気持ちや、
「それなのに、手が届かない」
という苦しさ、情けなさと向き合うと、人は自然と、
「だったら、どうすれば手に入るんだろう?」
と真剣に考え始めるのではないでしょうか?

そして、本気で考え抜くと、
「こういう道具があれば、ぶどうを落とせるのでは?」
「誰かの手を借りて手に入れることはできないかな?」
「こういう練習をしたら、ジャンプ力を上げられるのでは?」
といった具合に、アイデアが湧いてきたりします。
それらを試していけば、ぶどうが手に入る可能性がある。
でも、「どうせ、あのぶどうはすっぱい」と言っている限り、いつまで経ってもぶどうは食べられない。

そうなると、自分を騙して心の痛みを回避することは、大きな機会損失とも言えるんじゃないか?
……と思うので、私は、何かが手に入らなかったショックが大きいときほど、
「あのぶどう、絶対食べたかったのに!!」
という悔しさにフォーカスするよう心がけています。
痛いし、苦しいけど、最終的にぶどうが手に入るなら、そっちが得だと思うんですよね。
「解決策をいくら考えても、何にも思い浮かばない!」
というときは、お酒飲んで騒いで憂さ晴らして、フテ寝しちゃったりもしますけども。

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