地下鉄の窓ガラスに映った自分

人が黒歴史としてしまい込み、蓋をしている思い出の箱をうっかり開けてしまうことがある。
例えば、ある英語が得意な人が結婚したばかりの頃のこと。当時は、奥さんとのラブラブ過ぎるエピソードをこんな風に語っていた。
「結婚前からよく妻に英文でラブレターを書いている。すると妻が、『ここがどういう意味かわからないんだけど……』と質問して来て、それに答えてあげる時間が楽しい」

それから月日が流れ、何かの拍子にこの話を持ち出したら、
「そんな話、どこで聞いたー!?」
と相手は激しく動揺。
いやいや、「どこで聞いた?」も何も、あなたが自分の口で言ったんじゃないですか……みたいなことってありますね。

当然、自分の黒歴史の箱を人に開けられてしまうこともある。
私の例でいうと、すっかり自分の頭から消去していた思い出が、先日夫によって掘り起こされた。
「シナリオ教室行ってる頃、先生に言われたことで感情的になって、帰り道に怒りに任せて自分の原稿を川に投げ捨てたって言ってたよね?」

……まあ、確かにそういうことはありましたが、そうなるまでにはいろいろな経緯があってですね……と言い訳したくなるんだけど、こういう封印した記憶の中にこそ自分の本質があるんじゃないかとも思うんですよね。
私で言えば、感じよく振る舞おうと日ごろから心がけてはいるけど、実は怒りのコントロールが下手、とか。

鏡で自分の顔を見るときは、自然と口角を上げたりして、ちょっといい顔を作る。でも自分の本当の顔って、地下鉄の窓ガラスにふいに映る、無防備な時の顔ですよね。
あれ、たいていギョッとしますよね。

#日記 #エッセイ #コラム

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