見出し画像

その「謙遜」は誰のため?

「立派なことを成し遂げたのに、偉そうにしない人」というのは、好感度的に最強なんじゃないでしょうか。

そういう人に出会うと、尊敬の念と清々しさが自然と湧いてきますよね。
「謙虚さ」は接する相手をよい気分にさせるものなので、「褒められたら、謙遜で返す」という会話の流れはテンプレ化しているし、座りがいいいんだと思います。
こういう場合の謙遜は、コミニュケーションを円滑して場を和ませる、いわば相手への気遣いの表れとも言えると思うんですが、これとは別に「自分のための謙遜」「防御壁としての謙遜」というのがあると思うんです。

「私なんて、大したことないんです」「経験も実績もそれほどでもなくて……」
なんて言うことで、相手から自分への期待度を下げておこうとすることってないですか?
私は、人から評価されたいと思う時に、ついやってしまう。期待度を下げることで、相手が自分の実態を知って「なんだ、こんなもんか」とガッカリするのを避けようとするんですよね。

でもこれ、「ステップアップしたい。そのためのチャンスがほしい」と思っている時は止めた方がいい、とある時期気づいたんです。
「認めてもらいたい」と思う相手を前にすると、つい「ハードル下げておきたい」「生意気だと思われて、嫌われたくない」という気持ちが湧いてくる。
でも相手の立場になって考えてみると、「ダメなんです、私!」とアピールされても、特にうれしくはないんじゃないかと。
経験や実績がそれほどでもない人に、挑戦の場を与えるかどうかを判断しなくちゃいけないとなったら、ポジティブに働く要素って「期待感」ぐらいしかないと思う。
その期待感すら「持たないでください」とアピールして来られたら、どこを認めてあげたらいいのかわからないですよね。

だから私は、チャンスを求めている時ほど、無理してでも「謙遜しない!」と自分に言い聞かせるようにしています。
特に、経験値が似通った人がズラッと横並びでいって、「この中の誰かが選ばれますよ」という状況の時は気を付けたい。
こういう時、たいていの人は「ハードルを下げるための謙遜」ばかり口にするので、同じことをしてたら埋もれてしまうと思う。ちょっと勇気を出して、逆に張ると目立つので、それだけで随分お得だと思うんですよね。

#日記 #エッセイ #コラム
******************************************
Twitterアカウント @chiezo2222

noteで全文無料公開中の小説『すずシネマパラダイス』は映画化を目指しています。 https://note.mu/kotoritori/n/nff436c3aef64 サポートいただきましたら、映画化に向けての活動費用に遣わせていただきます!