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「羽化(短編小説)」

その日、つけたままになっていたテレビの中には、阿闍梨(アジャリ)と呼ばれる高僧が出ていた。


「悟り」とはなにか?
そのことについて、語っているようだった。難しい言葉は私には、わからない。


「執着」を捨てることが「悟り」なのだと、お坊様は仰っていた。よくわからない。ただ、とても気分が安らぐ声をしていた。

「麻衣子、いくわよ?」
階下から私を呼ぶ母の声がする。


今日は、養老院へ、祖父に会いに行く。
私はおじいちゃん子だったので、祖父に会いに行くのがとても楽しみだった。


養老院は、周りを山で囲まれ、精神病棟の隣にあった。大好きな祖父がこの養老院に入って2年が経つ、母は私に祖父と会うことを許可しなかった。


なぜ、ここに来て会うことが許されたのか、わからない。難しいことはいつだってわからないようにできているから。


養老院の部屋は、前に入院した病院の部屋と大差がなかった。祖父はどこかが悪いわけではなかったが、私の中ではお見舞いに行くような心持ちだったため、私は病室と呼ぶことにした。


祖父の病室は3階の外れにあった。祖父の場所にたどり着くまでに、私は3度道を訪ねられ、2度、お母さんと間違えられた。

白い病室の中、窓を見つめる祖父の姿があった。姿形は祖父であったが、私には、祖父の祖父感を感じることができなかった。


祖父は、包帯でぐるぐる巻きにされていて、まるでミイラ男のようだった。祖父の声は相変わらず祖父だった。


「おじいちゃん・・」
私が問い掛けると、祖父は不思議そうな顔で私を見つめた。まるで初対面であるかのような、特有の気まずさがあった。


「・・麻衣子か・・よく来たね」
私を思い出すまでに、少し時間がかかっているようだった。旧式のコンピューターで私を探すかのように、カタカタと私の名前をタイプする祖父の姿が見えるようだった。


「麻衣子、食事は、まだかな?」
祖父は私に聞いてきた。私は母のほうを向いた。母は無言で首を横に振る。


「おじいちゃん、もう食べたみたいだよ?」


「そうか・・食べたのか」


祖父には食欲だけがあった。祖父は、職人気質な人で、ここに入る前、すべてにおいてこだわりのある人だった。よく自身が手掛けた仕事について自慢げに私に語ってくれたり、色んなことを私に教えてくれた。しかし今は、食にしかこだわりがないようだった。


「そこのひと、食事をもってきてくれないか?」
祖父は母に向かって、声をかけた。


「麻衣子のことは覚えているのに、娘を忘れてしまうなんてね」
母は少しムスっとした顔をした。


祖父は、不思議な顔をして、母を見つめる。


「悪態をつかなくなったのは、いいんだけれどね。家族のことも忘れてしまうんじゃ、来てる意味もないのかもね」


母は祖父の言葉を聞いていなかったかのように、病室の掃除をしはじめた。


「おかあさん!」
「どうせ、わからないわよ?」


母は祖父の入所が決まった時に、とても喜んでいた。介護から解放されたからだ。


祖父の記憶は所々、曖昧で、時に私を誰かと勘違いしている節もあった。気がかりなことは、最近のことは、おぼろ気なのに、昔のことは鮮明に覚えているということだった。


「掃除も終わったし、もういくわよ」
母が帰り支度をはじめた。


祖父は悲しそうな顔をしていた。私にはそう見えた。その顔を見ているのが辛かった私は、コートを着込み、母に続いて、病室から出ていこうとした。


背後から祖父の声が聞こえた。


「麻衣子、もうここへは来なくていいよ。すべて忘れてしまうから」


「え?」


振り返ると、祖父は窓の外の景色を見ていた。


私の中で、その言葉は、家に帰っても、ずっとループしていた。なんだか悲しいって思った。


その後も、私は祖父の病室を訪ねた。


祖父には相変わらず食欲だけはあった。祖父があの時言っていたように、もう私のことも思い出せなくなっていた。毎日が初対面のような挨拶から始まる。


たまに、運が良いと、なにかの拍子で私を思い出すことがあった。経年による劣化で、接続部分が腐食し壊れたUSBケーブルのように、たまに接続されるが、長くは持たなかった。


私の知る、私を知る祖父は、あの時が最後だったのだと感じた。目の前にいる人物は祖父であって、もう祖父ではないのだと感じた。


以前テレビで見た、お坊様の言葉が心に響いてきた。死んだ後は、全て無になっていく。これは事実なんだろうと思った。


今の祖父のように、時間をかけて人は、忘れていく。仕事や、恋人や家族や、大事だと思っていたことをどんどん忘れていく。いや、大事だと思っているのは、残される私たちの方で、覚えていて欲しいと望むことと、相手が覚えていたいと思うことの間には相違があるのだと思う。


人は死ぬ時、誰しも悟るとお坊様は仰っていたが、その通りなのかもしれないと思った。頑固だけが取り柄の祖父の執着は食欲だけになり、やがてその食欲も最近はないようだった。


現世に生きる祖父ですら、この状態なのだから、大昔に死んでしまった人の幽霊が、自分自身や他人のことを覚えているとは、考えにくいと思った。


未練は執着なのだとすれば、死んでも尚、執着だけが残ることを幽霊というのかもしれない。そう考えると、執着を失ってきている祖父は順調に悟っていってることになるのだと思った。食欲も消えて、最後の執着である、生への執着の糸が消えた時、完全に悟るのかもしれない。そんなことを病室で思っていた。


母は、自分を思い出せない父親の見舞いに来る必要があるのかどうか、私に聞くことが多くなった。私はその度に、どっちでもいいんじゃない?自分で決めなよと答えた。


母が祖父の面倒を見るのは、娘だから。その関係性があるから。特別な存在、執着をもって自分を見てくれるわけではないのなら、介護をするだけの他人と変わらない。自分である必要性がないと思ったのだと思う。

祖父は最後に、無意識に、まだ生きたいと望んでいたのか食欲が残った。私は生への執着が祖父に比べて希薄だ。私が死ぬ時、最後まで私を現世に繋ぎ止めようとする執着とはなんなんだろう?忘れたくないものってなんなんだろう?


今は、まったく見当もつかないので、考えるのをやめた。自然に任せることにしようと思う。


お坊様の言葉が響く。
執着とは欲望と同義、求めたものが得られない時、苦しみを生む。まだ足りない足りないと、欲するうちは六道を繰り返すのだという・・。

病室でシーツに絡まって、サナギのようになった祖父は、時折、体をくねくねと動かし、サナギから抜け出る蝶のようだった。それはなにかへの変身を待っているようだった。


羽化は近い・・。

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KOTORI

短編小説家@山梨在住の03年生まれ。人の中にある「闇」世の中の「影」にライトを当てる点灯屋。尊敬する作家「芥川龍之介」【告知】新作→1WEEK短編(※毎週木曜日に更新中)

「短編小説(~2018)」

短編小説家KOTORIによる2018年までの過去作品。
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