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「透繭(短編小説)」

朝、起きると私の眉毛は綺麗になくなっていた。


鏡越しに見た私の顔は、まるで別人だった。

新しい自分を受け入れるのに時間がかかったが、受け入れないわけにもいかず、受け入れた。


他人にとっては眉毛ひとつ、大したことではないのかもしれないが、私にとって眉毛とは私そのものを表すものであり、私の尊厳がそこにはすべて集約されていた。


私は鏡を見ることをやめ、朝食を取るため階段を降りていった。


なにやらうまく歩くことすらままならない、そんな感じだ。ふらふらと食卓に座ると、家族は私の変化には全く気づいた様子がなかった。


私が私であるということ、私の消滅が近いというのに、この平凡な家族の鈍感さには呆れてくる。


私は皿の上に置かれた自分の分の目玉焼きに、醤油をかけようと、醤油指しに手を伸ばした。届かない。


「届かない、取って」


変だ。誰も反応しない。
私の声が聞こえないのか、まったく微動だにしない家族たち


「取って」
もう1度伝えるも、家族の誰ひとりとして私の方を見ようとすらしない。


「麻衣子はなにしてるのかしら?学校に遅刻するわよ」


母は目の前の私を見つめながら、私を呼んだ。こんな滑稽なことがあるだろうか。


私は思わず、母の前で手を大きく振ってみた。見えていない。私の手は彼女にはまったく見えていなかったのだ。


彼女は娘のあまりの変貌ぶりに一時的なショックを受けているのかもしれない。そう思った。とにかく母は、目の前にいる眉毛のない私を自分の娘と認識できないようになっている。そのことだけは確かだ。


「冗談ならやめてよ、私はここにいるじゃない」


そう声に出して伝えるも、彼らには聞こえていないようで、父親に至っては、私のことなど気にならないといった具合に、母の言葉すら無視をし、黙々と朝食を貪っていた。


こんなに冷えきっていたっけ?


私は私がいないときの夫婦は、こんなに冷えきっているのだということを知った。


「あなた、麻衣子を呼んできてくださいませんか?」


父親の動きが止まる。


「あぁ」
父親は一言だけ呟くと、新聞に目をやった。


「みんなして、なんの冗談?麻衣子はここよ?」


彼らには私の姿が見えていない。眉毛が消えたことで見えなくなったのだ。眉毛だけでなく、私の声、私の姿までもが失われようとしている。このままでは忘れさられてしまう。なんとかせねば。


「私を驚かそうとしているのなら、もうやめてよ。十分驚いたわ」


私からの言葉に返答はない。母親は、まったく手をつけていない私の目玉焼きを片付けはじめた。


「お母さん、まだ食べてないんだけど」
そう呟くも、言葉は虚しく宙に浮くだけだった。


「あなた、いい加減麻衣子を起こしてきてくれませんか?」


母は困惑した表情で、父に向かって言い放った。父親はなかばあきれ顔で、母にむかってこう言った。


「・・もういい加減にしないか。麻衣子は去年亡くなったじゃないか」

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KOTORI

短編小説家@山梨在住の03年生まれ。人の中にある「闇」世の中の「影」にライトを当てる点灯屋。尊敬する作家「芥川龍之介」【告知】新作→1WEEK短編(※毎週木曜日に更新中)

「短編小説(~2018)」

短編小説家KOTORIによる2018年までの過去作品。
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