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「AUFHEBEN(1WEEK短編小説)」

死にそうな昆虫を拾っては、一宿一飯を用意し、手厚く介抱し看取る。
もう見送るのは、これで最後と思いながら。
いつしかお墓が増えてきた。

たった1日だけの関係でも情は移るのだと思った。
「名前」などつけてしまったら、もっと大変だ。

大切なものが奪われることに耐えうる心がない。
そういう人間だと知っていた。

こんなことでは、生きていくことは出来ないとそう思った。

どれだけ亡骸を弔っても、「死」は慣れてなどくれない。
「死」は、それぞれが独立をしていて、「数」ではないのだと思った。


数ではないから、加算することは出来ない。同じ「死」はこの世に1つとして存在しなかった。この手にある、小さな蛾の命にも、身の大きさに余りある大きな「存在感」が確かにあった。

生命の死にはいつも重さを感じた。
死んでしまったものは、等しく軽くなった。

きっと生きるということは、常に気をはっているのかもしれない。
死ぬと、力が抜け、とても軽い。
スカスカの空洞だ。

生命は「重さ」なのだと気づかされる。

周囲はどんどん死んでいく、自分だけが取り残されたくはない。
誰かの死を見たくないのなら、自分が真っ先に死ぬしかない。
早抜けなんだ。

「そんな悲しい事を言わないで」

それでも必ずいつかは、私かあなたか、どちらかがどちらかを見送ることになるわけだけれど、あなたには、その覚悟が出来ているの?

他人には死なないでと望むが、自分は早抜けを狙っているのかもしれない。

それは、勉強しないでいようねと誓い合って、当日、蓋を開けてみたら、相手に良い点を取られることに似ている気もする。寝首を掻かれてはならない。あなたが先に死なないように、見張っているからね。

最後まで残る方が辛いに決まっている。
すべての人間が死ぬのを見送った後で満足して死ねる人間なんているのだろうか?私には理解できない。

わかっているのは、いつも矮小な自分のことだけだ。
他の人のことはわからないけれど、私は見送れるほど強い人間ではない。
ひとりでは死んでいきたくない人間は、早死にしたほうが幸せだ。
たくさんの大切な人たちに見送られながら死んでいける。
最後まで生き残ったものは、孤独に死んでいかなくてはならない。
誰も自分のことを知らない状況で死んでいくのは辛い。

生き抜く方は、泥水をすすってでも生きれるほど、強くたくましくなくてはならない。


ネイチャー番組で、恐竜の母親が目の前で子供を殺された。
母は悲観に暮れる間もなく、子供を食べた。生き抜くためだ。
有識者は、その時、恐竜の知能の無さを笑い。このように彼らには、情緒がないから滅んだのだと蔑んだ。私はそうは思わなかった。

死んでしまったものは、もう戻らない。
最良の策は、すぐに自分がそのエネルギーを引き継ぐ事。
考える間もなく、本能で野生の動物はそれが出来ているのだと思った。
死んだものは、他のだれではなく、思い入れのあるモノのエネルギーになりたい。力尽きたものは、大切なモノの中に生きる。そのモノと共に生きていきたいと望むんだ。

大型の爬虫類は、無意識なのか意識してなのかわからないけれど、目の前で死んだこどもの想いを汲んだ形になる。

捉え方によっては、「無情」ただ、私は愛を感じた。確かな「重さ」をそこに感じる。愛は大きくなればなるほど、きっとドライなのかもしれないと思う。私たちには、測りしれない「ものさし」が存在してるんだと思った。

大切なモノ達の死を糧とし、乗り越える。これが出来ないものは、命を託され、生きることはできない。託されるということは、そのモノのエネルギー分、走るということだ。

目の前の死に悲しみ、歩みを止めてしまうものは未来を生きれない。
そこで一緒に果てるのなら、構わない。心中も1つの美徳。誰かがその悲しさを食べて走ってくれるかもしれない。
                                  ただ、生きるなら、もう次を考えなくてはならない。
それは早ければ早い方がいい。目の前の肉も腐ってしまうからだ。
目の前の大切な者の亡骸を糧として、その分1歩でも先に進まないといけない。

「私の屍を食べて生き抜いて欲しい」

幼いころ、ヘビに丸のみにされたいという願望があった。別に、死にたかったわけじゃない。ただ、私が生きるには、この世界はきついと思った。

大きな蛇の腹の中をさばくと、その中には、溶け始めたなにかがあった。まだギリギリ、元の形を保った別の生物が入っていることがあった。目を背けるような場面に、私は興奮したのを覚えている。食べられても、すぐに消滅するわけじゃないんだ。それを知った時、蛇がひどく優しい存在に思えた。そこに愛があると感じた。                      

ゆっくり蛇と共に、時間を歩く。
より遠くにいくために、長い乗り物に乗っただけなんだ。

やがてその蛇も、もっと大きなものに食べられて、また長い道のりを進んでいく。どんどん連なって、まるで列車のようになって、どこかの銀河に行けるかもしれない。

人の人生は「蛇」のようだ。
Aである私がBと戦い。
Bに勝つ。Bは死ぬ。
Bは私の中で生き続け。
Abとなる。

Abとなった私の前にCが現れる。
Cに勝つ。Cは死ぬ。
Abcとなる。

これらを繰り返し続けていくと
Abcdefg...と長く長く連なった蛇のようになる。
                                  彼らはもう独立して話などしないが、もっと深い所で溶けあい、繋がれている。そう思うと寂しくない。

いつまで、連なって生きていくのだろう。
生命全てが繋がるまで、長くなるのだろうか?

終わりはあるのだろうか?

旧約聖書で、海中に住む巨大な怪物として記述されている「レヴィアタン」は、「最後の審判の日」に滅び、新しい人類の糧となるという。

その時には、人類は、すべて繋がり、大きな大きな蛇となって、新しいなにかに生命を託し、滅んでいくのかもしれない。

それは少しだけ楽しみだから、もう少しだけ生きてみようと思う。


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KOTORI

短編小説家@山梨在住の03年生まれ。人の中にある「闇」世の中の「影」にライトを当てる点灯屋。尊敬する作家「芥川龍之介」【告知】新作→1WEEK短編(※毎週木曜日に更新中)

「1WEEK短編小説」

毎週木曜日に更新される短編小説になります。毎週「単語」をランダムで選び、そこから想像される物語を綴っていきます。
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